小津安二郎監督との出会い

NHKの音楽番組の編曲・指揮をしたある日、歌曲を唄ってくれた声楽家の今村桜子さんが、松竹映画の音楽指揮者と懇意にしておられるとのことで引き合わせてくれました。
何とその方は、数年前に大船撮影所でお目にかかった吉沢博先生だったのです。
吉沢さんは、松竹大船撮影所で音楽部門を仕切っていて、指揮者も務めていました。

吉沢さんは私の劇伴の音楽をすでに聴いており、気に入っておられたようでした。
当時の私はラジオドラマの音楽を書いており、吉沢さんに「斎藤さんの音楽は映画に合う」と言っていただいたのが、「小津映画に合う」となったのではないでしょうか。

ちょうどその頃、幸運にも小津安二郎監督が新しい映画の撮影に入るところで、その音楽担当者を探しており、それを吉沢さんが任されていたのです。
そして、吉沢さんはその仕事に私を推薦してくださいました。

小津安二郎監督といえば、当時の映画関係者の間では神様のような存在で、しかも大変厳しい方だという評判は私の耳にも入っておりましたので、夢のように思う反面、恐ろしさで身も縮むような複雑な気持ちでした。
そして、1952年(昭和27年)夏の午後、いよいよ小津監督との初対面の日がやってきました。

吉沢さんに連れられて大船撮影所の門をくぐったときはたいそう緊張しました。
何しろ、今まで映画の音楽など一度も作ったことのない新米の作曲家が、天下の大監督に会うのですから。

緊張のあまり口もきけずに頭を下げていると、小津監督は開口一番「今までにどんな映画音楽を作曲しましたか?」と言われました。
私は「まだ一度もやったことがありません。先生のお仕事が初めてです。」と答えました。
すると、一瞬驚いたような表情を見せましたが、すぐにニコニコ笑いながら「そいつはいいや。」とおっしゃいました。

ほっと胸をなでおろすと、いきなり助監督に映画の台本を持ってこさせ、その場ですぐに第一回目の打ち合わせに入ったのです。
その台本は、芸術祭参加作品の『東京物語』でした。

台本を渡されると、音楽を入れるのはこのシーンと指示が出ました。
しかし、音楽の具体的性格や内容については、そのときは何の要求もありませんでした。
そして、音楽の入る場所と曲の注文(フィーリングなど)をひと通り説明し終えると、撮影所近くの料亭に連れて行かれ、お酒をご馳走になりました。

数人のスタッフも同行し、皆さんに紹介してくれました。
もちろん吉沢さんも一緒です。
吉沢さんは一滴のお酒も召し上がらないのですが、その後もいつでも酒席には私と一緒に参加して下さいました。

≪前へ          次へ≫

Translate »