小津監督の映画音楽観

『浮草』は大映で撮りましたが、私の仕事に関しては何も変わったことはありませんでした。
とにかく『浮草』から『秋刀魚の味』までは、当然明るいお天気のいい音楽が基調です。

サセレシアやポルカのような音楽は、他の監督さんの時にはやりませんでした。
あれは当時にしても、流行りのリズムというものではなかったですから。

それから小津監督の場合は、人物の内面とは無関係に、喫茶店やレストランではムードミュージックとして流れているという設定でやったこともありました。
ところが、そのままシーンが変わっても、引き続き流れているのが不思議でしたね。

リアリズムだったら、シーンが終わったらそこで音楽は切れなければいけないのに、ずっと流れているから観ている方は、あれ?なんて思ってしまうんです。
それでかえって音楽が印象に残ってしまうんですね。

ある場面では喫茶店で聞こえていた音楽が、主人公が途中移動するシーンはカットして、家へ帰ってきて玄関をガラッと開けると、まだ続いていたりするんです。
小津監督の音楽の使い方は、そういうところがユニークでした。
あの当時、場面が変っても音楽だけが続いているなんていうことは、他の映画では有り得ないことでしたから。

小津監督は、よく「画面からハミ出さないような音楽を書いてくれ。」とおっしゃいました。
つまり、音楽が喋り過ぎちゃって、意味を持ったら困るということなんです。
そういう説明的なのは大変嫌っていましたね。

心の中は悲しくても、そんなこととは無関係に天気のいいときは陽が当たっていますよね。
そういう陽が当たっているような音楽を望まれていました。

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