Sep 14, 2013

「月刊ぺんだこ 1985年2月号」より

落合武司氏は、往年のスマッシュヒットナンバー「恋人もいないのに」シモンズの作詞をはじめ、西城秀樹、杉田二郎、浅野ゆう子、大月みやこ、春日八郎等々…フォーク、ポップスから演歌まで幅広いジャンルの作詞を担当しました。
作詞以外にも、演劇の脚本・演出や執筆活動などマルチな活躍を続けています。
「月刊ぺんだこ 1985年2月号」より、落合武司氏のインタビューによる「小津安二郎さんの映像と私の音楽 斎藤高順」を以下に掲載します。

小津安二郎さんの映像と私の音楽 斎藤高順
聞き手 落合武司

 放送のための音楽を書いていた斎藤さんにある日、映画音楽の仕事が舞い込んできた。小津安二郎監督作品「東京物語」だった。二十七歳の時だ。以後、名作大作の音楽を担当しつづける。小津作品では「東京物語」「早春」「東京着色」「彼岸花」「浮草」「秋日和」「秋刀魚の味」。田中絹代の監督二作目「月は上りぬ」をはじめ小津監画の助監督だった斎藤耕一監督の作品を手がける。他にも阿部豊監督「大阪の風」滝沢英輔監督「あじさいの歌」「どじょっこの歌」「さよならの季節」西河克巳監督「孤独の人」他、みずみずしい感性を発揮。小津安二郎の人と作品をつづった井上和男監督作品「生きてはみたけれど」が最近作。

落合 僕の母は働いていましたから、中学生なのに夜遅くなっても叱られないんですよね。それでよく映画を観て、セリフと音楽を覚えて夜更けの道で口づさみながら一人テクテク歩いて帰るのが楽しみでした。
斎藤 それは非常にいい環境だったんですね。
落合 そうですね、映画館と帰りの夜道で培われたものは大きかったし、それが僕の背骨になっています。それもつまらない映画は観たことがない、だから余計幸せでした。というのは、どういうわけか観る前にそれがいい映画かどうかが判ってた、本能的に。ですからベストテンが発表されると「あゝ、全部観た観た」ってなことでね。「チェッ」なんて舌うちして映画館を出たことなんてありませんでしたね。僕の体の中にはいい映画がいっぱい動いていますけれども、日本映画のベスト3を選べと言われたら木下恵介さんの「二十四の瞳」成瀬巳喜男さんの「浮雲」そして小津安二郎さんの「東京物語」なんですよね。小津さんの作品は「東京物語」以前のものから観てましたけど、特にあの作品に一番心を打たれましてね、小津映画の中ではドラマチックな要素が強かったせいもあるでしょうけどね。あの映画の帰り道、テーマミュージックをハミングしながら、泣き出しそうな気持で帰ったのを覚えています。その作曲家にお会い出来て光栄です。
斎藤 ありがとうございます。私は「東京物語」が小津さんの映画の曲を書いた最初なんですが、小津さんの作品だけではなく、はじめて映画音楽を受け持ったのが「東京物語」だったんです。
落合 大作から入られたというわけですねえ。
斎藤 そうなんです。だから小津さんもずいぶん思い切ったことをされたと思いますよ。
落合 そう、そこをお聞きしたいんです。どういうきっかけか、斎藤さんおいくつでいらっしゃったんですか?斎藤 私は昭和の年号と同じですから、二十七歳の時に知りあったということになります。
落合 二十七歳で、あの深い人生観照の映像に流れるあの音楽をねえ、びっくりしますねえ。どんなきっかけだったんですか?いきなり話が来たんですか?
斎藤 ええ、いきなりでした。
落合 へエー、それが判らない。
斎藤 それはちょっと判りませんよね。それまでは小津さんは伊藤宜二さんて方、あの方がレギュラーみたいになって音楽を書いていらっしゃったんですよね。
落合 「麦秋」なんかの作曲をされた方ですね。
斎藤 そうです。私は詳しいことは知りませんが意見の衝突で、小津さんの仕事をおろさせてもらったということを伊藤さんから聞いたことがあるんです。当時小津さんの作品に出ていた俳優さんは、何でも小津さんの言うことをきいたらしいのですが、伊藤さんはここはどうしても私の考えでやりたいと言ったことから、小津さんの機嫌を悪くしてしまったのだそうです。その後、斎藤一郎さんが一本だけやったんです。
落合 「お茶漬の味」ですね。
斎藤 ええ、ところがあの斎藤一郎さんという方は忙しい方でね、小津さんの映画は一本一年じっくりかかってやるでしょ、それで時間的に無理だということだったんですね。小津さんとしては自分の作品の音楽を担当してくれる人、しかも一生懸命やってくれる人というのを探していたんです。やりたいと思っていた人はいくらでもいたと僕は思いますよ。映画音楽の指揮をしている方で吉沢博さんとおっしゃる方がおられましてね、今でも映画の指揮をしていらっしゃいますが、その方から僕に声がかかったわけです。「東京物語」という映画の音楽を書いてみないかってね。
落合 当時、斎藤さんは何をなさっていたんですか?
斎藤 僕はラジオドラマの音楽やなんかをやっていて、映画はやったことがなかったし、小津さんが偉い人だか何だかも知らなかったんですよ。吉沢さんは、よく映画の監督さんから音楽の相談を受けていたらしいんです。私がやっていたNHKの学校放送や子供の時間の音楽なんかを放送で聴いて、それで私の曲の傾向と小津さんの作品とが合うのではないかとお思いになったようです。で急に話が進んだわけです。私にしたら、放送局の仕事というのは大して後に残りませんし、映画の仕事というものに大変な魅力があったわけです。
落合 当時映画は全盛ですからね。
斎藤 ええ、それとね、謝礼なんかでもね放送なんかでの謝礼の十本か二十本分が一度に来るんです。たとえばラジオで一本一万円だとしますと、イヤ、一万円もなかったかな?
落合 昭和二十七・八年ですからねえ。
斎藤 ええ、でもそんな時にでも早坂さんという映画音楽のベテランの方には百万円というお金が支払われていたという噂がありましたよ。
落合 あゝ、黒沢明監督の映画音楽を書かれた早坂文雄さんね。
斎藤 ええ。だからはじめて頼まれたって何十万くらいはもらえるんじゃないかと思いましてね。実際は何十万ももらえなくって十万にも満たない程でした。予告篇が一回やって一万円。
落合 最初だからですかしら。
斎藤 そうですね。それで特報(予告篇の一種)というので一万円、「東京物語」本篇の為の作曲料というので六万円もらいました。最初だからよく覚えています。全部ひっくるめても八万円程でしたが、それでもラジオの学校放送の二十倍ですね。でもちょとガッカリしたんですよ、本当は十万か十五万くらいはもらえるんじゃないかって思ってましたからね。
落合 仕事にとりかかる前にギャラはいくらっていうちゃんとした話がなくて始めてしまうことってあるんですよね、この世界は。
斎藤 そうなんですよ。作曲だとか何だとかの仕事は、頼むほうがお金の額をきめるんですよね。絵かきさんだったら、一号はいくら、二号はいくらって売り手の自分がきめるでしょ、作曲家の場合は「ハイ、ギャラです」と言われていただいて開けてみてはじめて判るわけです(笑)
落合 それで二本目は?
斎藤 「月は上りぬ」っていう田中絹代さんが監督なさった作品でした。
落合 日活の?
斎藤 そう、あれは小津さんが脚本を書いてね。
落合 ちょっと話は戻りますが、小津さんとお会いになって、あの方は自分の映画音楽の考え方はこうだっておっしゃるわけですか?
斎藤 小津さんがですか?僕にですか?
落合 ええ、はじめて先生にお会いになってですよ、君がやるのかねてなことになって、僕はこう考えてるんだからなんてことをおっしゃるんですか?
斎藤 いいえ、そんなこと全然言いませんよ。
落合 何もおっしゃらない?
斎藤 ええ、そのかわりはじめて会って、台本ができたから打ち合わせに来てくれとスタッフの方から連絡がありましてね。
落合 大船ですね、まさか鎌倉(自宅)まで来いと言うのじゃないでしょうね(笑)
斎藤 鎌倉も何回も行きましたが、その時は大船でした。それでここのシーンとここに音楽を入れましょうと言われたんです。後でびっくりしましたんですが、ほんとに録音をとる時、台本の段階でここに音楽を入れてくれと指定なさった所とまったく違わないんですよね。
落合 へエー、そうするとたとえばドアが閉まったシーンの後から音楽が入るとすると、ドアの閉まった音がQ(音楽入りの合図)ですよってな風にこまかく言われるんですか?
斎藤 いえ、そういうこまかいことは僕には言いません。
落合 指揮者に言うんですね。
斎藤 そうです。ですから僕には台本に赤線を入れて、ここからここまで音楽といった風に言うわけです。そしたらその通りなんです本番でも。長さはオールラッシュ(現像したフイルムを見ること)の時でないと判りませんが、それ以前にだいたいの見当はつきますよね
落合 じゃあ台本の段階で曲は一応つくっておかれるわけですね。
斎藤 そうです。この頃だとダビング(録音)の時に13秒と判っていれば、それだけの音を時間どうりに入れますよね。しかし当時は絵を見ながら指揮者が音楽を入れていったんですよ。そしてその前に試奏会というのがあるんです。
落合 それは監督さんだけが聴くんですか?
斎藤 監督とスタッフみんな聴きますね。それを称してみんな御前演奏って言うんですがね。
落合 へエー、小津天皇ですね(笑)それで斎藤さんは小津さんの作品ばかりを手がけられたのですか?
斎藤 いえ、やりましたよ他の方のも、今度は小津さんの推薦で。小津さんの助監督をなさっていた斎藤耕一さんはすぐに監督になられましたが、その方の映画音楽。それから、あと亡くなった方では阿部豊さん。
落合 僕、あの方好きでね、「細雪」なんて大好きだった。「大阪の風」ってのもありましたね。
斎藤 それ、私がやったんです。あの方はうるさくってね。
落合 でも映画監督としてはすてきでしたね、僕も尊敬しています。
斎藤 それから後は滝沢英輔さん。
落合 あゝ、「処刑前夜」の?
斎藤 そうです。けど僕がやったのは「あじさいの歌」だとか「どじょっこの歌」だとか「さよならの季節」だとかね。それから西河克巳さんの作品ね、これは一本だけなんですけど「孤独の人」。
落合 皇太子の関係のお話でしたっけね、そうなんですか「太陽の季節」の頃ですね。
斎藤 そうです。
落合 それで小津さんは「東京物語」の後しばらくお撮りにならなくて、三十一年頃「早春」がありましたでしょ。あれはどうしてか知りませんが、高校が観せたんですね、学校の講堂でね、その時の一番の印象が音楽なんですけど、悲しいところにくると弾んだ明るい曲が聞こえてくるんですよね。
斎藤 あれ、「サ・セ・パリ」と「バレンシア」が小津さんが好きでね、こんなの創れっておっしゃるんで二つの感じを合わせて書いたんです。「サセレシア」っていう題でね、これは小津さんがつけたんですが、テンポがよくて明るいでしょ?
落合 そうなんです。でもそれがかえって悲しいんですよね。僕も演出したりする時は悲しい時にメジャーの曲を使ってしまう。それはよく考えたら、小津さんの音楽の考え方に似ているなって気がしますね。
斎藤 そうですね、よく考えると私も短調の曲は一曲も創っていませんね。曲の中では変化をつける為にありますがね。
落合 「浮草」も大変愛着があって僕の作家塾の教材になってます。音楽の出し方、雨のシーンがなぜあるのか、あの一作を丹念に観れば他のことをやたらと勉強しなくてもいい。あの映画はバイブルだ。
斎藤 だれかが小津さんの映画はいつも天気の良いところばかり撮影してるのに、「浮草」だけ雨降りのシーンがあったって‥‥。
落合 印象的でした。
斎藤 あれは雨降りの時でないと思う。
落合 セットでしょうね。滝のように降りましたもの。
斎藤 小津さんは、僕の映画にはやりが降ろうと雨が降ろうと、心の中はいい天気なんだ。青空なんだという感じが欲しいんだとおっしゃるんですよね。
落合 それが、たとえお葬式のシーンでも明るく弾んだサセレシアがかすかに流れてくる。演技指導も同じだったと思うんですが悲しい時に泣かせないというか非常に高級だなあと思うんですよね。
斎藤 「東京物語」の時、私はまだ何も知らないですからね、わびしーい話の場面にそういう感じの音楽をつけたんですよ。東山千栄子さんが原節子さんのアパートで一晩泊まるシーンですが、そこへバイオリンのソロを入れたのです。小津さん気に入らなかったみたいでね、小津さんの音楽の使い方は普通の監督さんと違って心の中をそのまま音に出すのは、合いすぎていてやりすぎだといつも言っていました。小津さんは、「斎藤くん、あすこのとこちょっとね、よくできすきちゃうんだ」と言うんです。
落合 音楽が合いすぎちゃう。
斎藤 そう。それから僕はああいう使い方しなくなりましたのね。でも小津さんは思いやりのある人ですから、その音楽が気に入らなくても決してカットはしないんです。そのかわり小さく小さくして入れるんです。「もう少しちいさく、ちいさく」って聴こえるか聴こえないかでね、だから指揮者の吉沢さんも「斎藤くん、せっかく創ったのにあんな小さい音にされちゃって悪いね」なんて気にしてましたけどね。
落合 だいたい小津さんの映画は音楽が小さいでしょ。
斎藤 小さいですね。
落合 斎藤さんはどう思われてるんでしょう。僕はそれが映画音楽じゃないかなと思うんです。ミュージカルは別にして、音楽も俳優の一人であるという考え方があるのではないか、音楽に限らず照明の工夫だとかもあまりむきだしで出てこない。木下さんは音楽が前面に出てくる、素直ですよね。小津さんはわざと引っこめてしまう。ところが帰りにはそれを口づさんで帰れるのね、メロディーを。
斎藤 なるほどね。
落合 「東京物語」では、いつもと違う音楽だと思いましたね。尾道から東京の話に移る時に東京の工場地のエントツから煙が出てるシーンで、音楽が大変ダイナミックに入りましたね。そこが今までと違うと思いました。
斎藤 僕は「東京物語」がはじめての作品ですから、小津さんはめずらしくて新鮮味があったんでしょうね。
落合 ご自分でおっしゃってましたが、「メロドラマの要素を自分の作品に入れたくて東京物語を創った」っていうからいつもよりドラマチックなんでしょうね、だからあの音楽でよかったんでしょうね。
斎藤 僕は大先生だと聞いていたし、緊張して創りましたが、僕自身放送劇なんかやってましたので、ことさら目新らしくやらない。「早春」の時に「サセレシア」を一曲創った為に以後はあれ式の音楽になっちゃったわけです。「東京暮色」では「サセレシア」だけでいいからねという注文で、僕は楽でした。
落合 それでも創作料はいただけるんですか?
斎藤 そりゃそうですよ、僕の作品ですから。
落合 「彼岸花」か何かの中で僕は音楽で泣きそうになったシーンがありました。同窓会のシーンで、誰かが 青葉しげれる桜井のーとアカペラ(無伴奏)で歌いはじめ皆がついてきて、歌だけから音楽にのりうつるところで涙がワァーっと出てきたんですね。不思議な感動でしたね。あれはどうやってやったんですか。
斎藤 あれは撮影で歌つ時にキー(音の高さ)をアコーディオンの村上さんというおばちゃんがそばにくっついてて弾いて、俳優さんたちに高さを覚えさせてから、その通り撮影で歌っておいて、私は村上さんから高さの報告を受けて後半の音楽になる部分を書くんです。加東大介さんが出てた「秋刀魚の味」で「軍艦マーチ」を歌うシーンと同じで、映画では酒場のレコードに合わせて加東さんが歌ってますけど、撮影中はレコードなんかかけずにレコードのテンポを記憶しておいて歌う人のキーを合わせてアコーディオンを弾く。それを覚えた加東さんが本番で無伴奏で歌う。それにあとでレコードをかぶせるんです。大変めんどくさいことをやるんです。出来上りは何てことない場面でも大変手間をかけてやるわけです。手間かけりゃいいと思ってんですね、あの人は(笑)映像だって非のうちどころがないっていうか、フイルムを一枚一枚ひきのばしても額にかざれるような撮り方でしたね。
落合 小津さんの作品は、日本の家屋の中、つまりアーチのある部屋があるわけではなくて、正方形と長方形で構成された典型的な日本家屋の中での物語ですわね、それをキャメラを動かさないで撮る。その中に洋楽が入ってくるんですよね、たとえばお琴なんかを使わないのに、あの映像の中にピタッと入ってくるというのはどういうことかなと思うんです。他の監督さんの日本の家の中の話にもいい洋楽を使ったのありますけど小津さんのはビターッ!でしたね。何か作曲上の秘密があるんですか?
斎藤 それは落合さんほど考えたり悩んだりしたことありませんけど、小津さんと僕の相性が合ったんでしょうわりにスラスラ書けましたね。
落合 お好きですか?ああいう撮り方。
斎藤 ええ、好きですね。
落合 やはりあれですね、相性というか、好きな方と一緒にずっとやっていけたということは音楽家としてもすばらしいことですわね。
斎藤 そうです、幸運だと思いますね。
落合 いい人生だなと僕はうらやましくて‥‥。
斎藤 ほんとにね。小津さんに出会った時は話もしたことがなくてね、たとえば今だったらお見合い結婚をする時にでも話くらいはしますでしょ。でももっと昔は顔も見たことがない二人が結婚するということがありましたよね、それでも幸せに暮らしている夫婦、ちょうどあんななんですよね。

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