May 8, 2017

―吹奏楽の発祥― 陸軍戸山学校

陸軍戸山学校の貴重な資料が、警視庁音楽隊の倉庫から発見されました。終戦後、警視庁音楽隊の初代隊長に就かれた山口常光氏が、陸軍軍楽隊長の頃に保管していた資料と思われます。そのごく一部をご紹介します。
(写真:山口常光隊長)

以下は、陸軍戸山学校の紹介文です。

陸軍戸山学校は明治6年に創立された。戸山が原の地名を借用したこの学校は、士官ならびに下士官にたいする術技を教育する教官養成が目的であった。
ここに軍楽隊が移ったのは明治24年で、当時は「軍楽学舎」といわれ、それまで馬場先門に在った。戸山が原は、徳川時代は尾張侯の別邸で、その敷地は84万㎡もあったが、構内には当時東京市内でいちばん高いといわれた箱根山という丘陵もあったが、軍楽隊はいまの国立第一病院のある付近、むかし錦明山と名付けられたところに位置していた。

陸軍戸山学校校歌
作詞:中尾金弥(終戦時中佐) 作曲:戸校軍樂隊

一 帝都の乾深緑の 戸山の森へ集い来る ほまれも高き丈夫は 我が陸軍の精鋭ぞ
二 風さえかおる樹の間より 打つや鼓の進軍譜 喇叭のひびき湧き添えば 心の駒も勇むなり
三 赤陽照らすひろ庭に 健脚競い争えば 勇士の顔に雄々しくも 燃ゆる血汐の映ゆる哉
四 王座栄えある道場に 武道の精を究めては 無双の刃霜凍り 声に護国の叫びあり
五 芙蓉の麗姿仰きつつ 鍛え鍛えし狙撃術 神技の光いや汗えて 必中弾の音高し
六 神々しくも大帝の 立たせ給いしつつじ山 武蔵野原はひろくして 赤城筑波の嶺高し
七 歴史も古き深緑の 戸山の森に湧き出づる 泉は万古かぎりなき 神州士気の源ぞ

戸山学校の校歌は初め四拍子のものであったが、昭和5年頃香椎校長時代にこの校歌に改められた。作詞は当時の甲種士官学生中から募集され、少尉学生中尾金弥の作詞が当選した。第5番の歌詞は後に射撃科が出来てから差し加えられた。

また、最後の軍楽生徒となった118名の卒業成績列序名簿なる資料が存在し、成績順に1番から118番まで全員の氏名が記載されています。東京音楽学校(現在の芸大)から陸軍戸山学校へ入学した父高順、芥川也寸志、團伊玖磨、奥村一の卒業成績が、驚くべきことに明らかとなりました(今頃天国で冷や汗をかいているかも知れません…笑)。首席は芥川也寸志、團伊玖磨は第4番、斎藤高順は第10番、奥村一は第33番と記されています。

なお、この4名には特別な任務が与えられました。幸運にも戦地へ派遣されることはなく、部隊歌や吹奏楽曲の作曲が命じられ、一人ずつピアノ付きの個室が提供されたそうです。当時、父たちが作曲した部隊歌や吹奏楽曲の楽譜も保管されているようなので、是非近いうちに拝見させていただこうと思います。下の写真は、若かりし日の芥川也寸志、團伊玖磨、斎藤高順、奥村一の4名(左から)。

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