Sep 7, 2017

夏の小津会「カットしたマル秘エピソード…2/3」

小津監督は、「お早よう」と「小早川家の秋」では黛敏郎を起用しましたが、小津監督に父ではなく黛の起用を進言したのは、親族でもあった吉澤博でした。実は、吉澤は以前から黛の才能を高く買っており、小津映画で起用する機会を窺っていたのです。

黛にとって最初の映画音楽の仕事は、昭和25年(1950年)に公開された松竹映画「帰郷」(大庭秀雄監督)でした。当時、弱冠22歳の黛を抜擢したのも吉澤でした。吉澤は指揮者でしたが作曲家でもあり、「帰郷」の音楽を黛と共作しました。そして、「帰郷」の映画音楽は毎日映画コンクールの音楽賞を受賞し、吉澤は黛の才能を確信しました。

記念のトロフィーには吉澤と黛の名前が連名で刻印されましたが、音楽賞のトロフィーは一つしかなかったため、吉澤は黛にトロフィーを譲り渡したそうです。また、翌昭和26年(1951年)には「カルメン故郷に帰る」、さらに昭和27年(1952年)の「カルメン純情す」(共に木下恵介監督)では、吉澤は黛を木下忠司のサブに付け、映画音楽の経験を積ませるなどしました。

しかし、黛の作風は斬新でやや前衛音楽的な傾向もあり、小津映画には似つかわしくないとも考えた吉澤でしたが、「お早よう」はこれまでの小津作品とは一風変わった作品であり、新風を吹き込む意味でも黛の起用は理に適うのではないかと、吉澤は小津監督へ進言したのです。親族でもある父ではなく黛を推薦した吉澤は、それだけ黛の才能を評価していたのでした。

「小早川家の秋」では、東宝の藤本真澄プロデューサーから黛の起用を頼まれていました。黛はシーンと合った音楽を大胆に採用しましたが、小津監督からNGは出ませんでした。ラスト近くに遺族が並んで橋を渡るシーンがありますが、あのシーンのバックに「葬送シンフォニー」という重々しい音楽が流れます。背景には抜けるような青空が広がっており、火葬場の煙突から昇る煙もどこか長閑さを感じさせるようでした。つまり、あのシーンは「お天気のいい音楽」ではなく、逆に「お天気の良くない音楽」を流すことでバランスを取ったとも考えられます。

映像と音楽を敢えて対比させることにより、バランスを保とうと考えた小津監督の演出であったと言えるのではないでしょうか。ただ、個人的な意見としては、黛の音楽は小津作品よりも黒澤作品でこそ、その真価が発揮されたような気がします。「涅槃交響曲」などは黒澤作品にピッタリではないかと思います。

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