Aug 8, 2014

斎藤高順が見た人間小津安二郎

小津と斎藤にはいくつかの共通点があった。
二人とも東京深川の出身だったこと、若い頃に代用教員の経験があったこと、誕生日が近かったこと(小津12月12日、斎藤12月8日)などである。
そんなちょっとしたことが、二人の距離を近しいものにした一つの要因だったかも知れない。

斎藤の証言によると、小津は偉大な映画監督であるにも関わらず少しも偉ぶったところがなく、若輩者である斎藤に対しても同じ目線で対等に接していたようである。
宴席では年長者である小津が率先して道化役を演じ、若いスタッフや俳優連中の緊張を解き、常に盛り上げ役に徹するなどの気遣いを見せていた。
近頃はすっかり廃れてしまったが、いわゆる“飲みニケーション”の達人であったのだろう。
斎藤の回想禄より、小津の優しさを窺わせる出来事をご紹介したい。

『東京物語』のダビングの時点で、ひとつの問題が生じました。
それは、東山千栄子さんが戦死した次男の嫁、原節子さんのアパートを訪れるシーンの音楽をめぐって起きたのです。
私はこのシーンを映画全体のひとつのヤマ場と感じましたから、特にシーンとピッタリ合う品格のあるものをと強く意識して音楽を付けました。
ところが、小津監督は「この音楽はシーンと合い過ぎて、映画全体のバランスが崩れるから、ヴォリュームを絞ってほんの小さく入れることにしよう。」と言うのです。
私はその曲の出来ばえに自信がありましたから、とてもガッカリしました。
けれども、そのあと小津監督はこう言ってくれたのです。
「ぼくは、登場人物の感情や役者の表現を助けるための音楽を決して希望しないのです。」
また、こういう風にも言いました。
「いくら、画面に悲しい気持ちの登場人物が現れていても、その時、空は青空で陽が燦々と照り輝いていることもあるでしょう。これと同じで、ぼくの映画のための音楽は、何が起ころうといつもお天気のいい音楽であって欲しいのです。」
こうした言葉によって、私は小津監督の映画音楽観をしっかりと理解できたように思いました。
それ以来、私は小津監督のために、物語の展開とよく合う感情の入った音楽を一切書いていないつもりです。

上記のシーンに使われた「夜想曲」は、明らかに小津の意向に添うものではなかった。
普通ならばカットされるか、別な曲に作り直しを命じられてもおかしくない。
しかし、落胆する若い作曲家に対し、小津はボリュームを絞って使うことを提案したのだ。
それでも納得できずにいる斎藤に、小津は自身の音楽観について丁寧に説明を加え、斎藤を失望させないよう理解を促したのである。

他の監督ならば、「黙って言う通りにしろ!」と一喝してお終いかも知れない。
小津は飲みニケーションの達人であるばかりではなく、人心掌握術の達人でもあったのだ。

それ以降、斎藤は小津にとって良きパートナーへと急成長していったのだと思う。
また、小津は自分のことを「小津先生」や「小津監督」ではなく、「小津さん」と呼ばせていたようである。
斎藤は、まるで近所のおじさんとでも接するかのように親しみを込めて、いつも「小津さん、小津さん」と呼んでいた。

小津から飲みニケーションと人心掌握術の薫陶を受けた斎藤は、後に航空自衛隊音楽隊長、警視庁音楽隊長の要職に就いたとき、その経験が大いに役立ったようだ。
宴会では年長者が率先して道化役を演じ、場の空気を和らげること、飲みの席では基本無礼講であること等々。
生涯、仕事と酒を愛し続けたところも小津の影響かも知れない。

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