Jun 22, 2015

小津安二郎と子供

小津は生涯独身を通し、私生活では老母との二人暮らしでした。
小津映画の多くは家庭を舞台としており、必然的に子供が登場する作品が沢山存在します。

小津は子役の扱いに定評があり、プライベートでも親戚や知人の子供をとても可愛がっていました。
中でも、佐田啓二の子供達(中井貴惠、貴一)を、実の孫のように溺愛していた話はよく知られています。

『突貫小僧』を演じた青木富夫は、小津との思い出を次の様に語っています。

小津監督との出会いは六歳の時です。当時、私の母が横浜でスナックをやっていて、大船撮影所の人がよく来ていました。その中の一人が、「子供がこんなところでウロチョロしていてはよくない、撮影所に遊びに来い」と言ってくれまして、撮影所が遊び場所みたいになりました。ある日、池で遊んでいると、「あぶないぞ!」と叱られた。「いやなじじいが怒りやがって」と思ったんですが、それが小津先生だったんです。体が大きくて、お相撲さんみたいな感じでした。(中略)国立がんセンターに見舞いに行った時、「兄と弟(青木放屁。『長屋紳士録』に出演)を子役にしたのはおれだけだが、二人ともロクなものに育たなかった」なんて言っていましたが、勝手に子役にしておいて、無責任もいいところですよ。(笑)酒のお燗番をさせられて、熱いのぬるいのと、文句を言われたこともありますけれど、先生とのつきあいは面白かった。なにしろ、ぼくにとっては「偉い先生」ではなく、「優しいオジさん」でしたからね。(『小津安二郎 新発見』より引用)

関口宏
1947年頃:大船撮影所にて関口宏と

斎藤高順も、小津同様に子供好きでした。
私生活では、5人(4男1女)の子を持つ家庭的な父親でもあったのです。

第1次ベビーブーム(1947年から49年)の頃は、日本の出生率は4.3人程だったそうです。
ちょうど斎藤が作曲家を志し、NHKラジオの子供向け番組の音楽を作曲するようになった時期(1949年から52年頃)と重なります。

世の中に子供が増え、子供向けの商品や子供を対象としたラジオ番組や学校放送が続々に登場しました。
音楽のジャンルとして、童謡が大衆の大きな支持を得ていた時代でもありました。

当時、童謡はNHKラジオでもしばしば採り上げられ、学校の先生や幼い子を持つ両親からも歓迎されていたのです。
その頃斎藤は童謡を書き始め、晩年に至るまで数多くの作品を残しました。

先頃、日本童謡協会副会長の宮中雲子氏が出版した『夢を描いて 宮中雲子の詩による童謡曲集』に、斎藤の作品が3曲収録されています。
夢を描いて
また、同じく日本童謡協会会員の柏木隆雄氏の『かんさつ日記』という詩集にも斎藤の作品が3曲含まれていました。
かんさつ日記

「ひとは斎藤を非常に穏当な作曲家と捉えているかもしれない。(中略)ある意味では幾つもの顔を持っていた音楽家であることがわかる。」とピアニストの花岡千春氏が語ったように、斎藤は映画音楽、吹奏楽、そして童謡作曲家としての顔も併せ持っていたのです。

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