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後日談
なぜ、小津監督は新米作曲家の私を起用したのだろうか、長い間不思議に思っていました。
ある日、思い切って吉澤博さんにお尋ねしたところ、私の前までは伊藤宣二さんが作曲を担当していましたが、伊藤さんと小津監督が音楽の方向性で意見が衝突したらしいのです。
小津監督はよく「画面からハミ出さないような音楽を書いてくれ。」とか「音楽に意味を持たせないでくれ。」というようなことをおっしゃっていました。
当時、伊藤さんは小津監督以外の映画音楽のお仕事をいくつも受け持っており、作曲家としての強いポリシーをお持ちだったのではないかと思います。
小津監督の指示に納得できなかったのかも知れません。
しかし、小津組では小津監督の意見が絶対です。
伊藤宣二さんと前後して、斎藤一郎さんも何作か音楽を担当されましたが、斎藤さんも伊藤さん同様当時は大変な人気作曲家で、スケジュールの折り合いがつかなかったようでした。
お二人とも、トーキーの創成期から大変ご活躍された方で、たしかあの当時伊藤さんが40作品、斎藤さんにいたっては120作品も映画音楽をやられていたのではないでしょうか。
そこで、小津監督は新米作曲家ならばスケジュールの心配もないし、何より自分の言った通りに働いてくれるに違いないと考えていたようです。
それで吉澤さんに頼んで、そのような都合のいい新人はいないかと探していたところ、私に白羽の矢が立ったという訳です。
初対面のとき、なぜ小津監督がニコニコしていたのかが初めてわかりました。