淑女は何を忘れたか
斎藤達雄 栗島すみ子 桑野通子
淑女は何を忘れたかは、小津安二郎第37作目の監督作品である。
1937年(昭和12年)に公開され、小津自身は34歳であった。
晩年、「自作を語る」の中では、次のように述べていた。
「この作品の特徴といえば、それまでの下町から、舞台を山の手へ移したことでしょう。
当時、僕の家も深川から高輪南町へ変ってね、そのためじゃあないが、山の手の写真が割合少いじゃないかというんで、それを採上げようと思ったんだ。
今でも、下町や郊外は多いが、山の手を描く作品は少いと思うね。
このあと、「父ありき」の脚本を書いて、出征したわけだ。
そうそう、その前に内田吐夢君の「限りなき前進」の原作を書いている。
「愉しき哉保吉君」。
あれは僕が自分で撮るつもりでね。
会社に話したんだが、それまで僕の写真が当ってないんだな、採用にならなかった。
内田にそれを話すと、呉れと言うんだな、会社も譲れという。
処があの内田の写真は僕のとだいぶ話が違ってるんだ。
僕のはあんなに深刻じゃない、喜劇なんだよ。
三十年勤続の男が、或日ふっと自分に疑問をもつんだね、そこでやりたいことをやってみようと思いたつわけなんだ。
気違いの真似をして一日だけ重役みたいな振舞いしてみるんだな。
折角の勤続もフイになってしまうのだがいや誰が何と言おうと、自分はこの気違いの一日が以前の三十年よりも面白い一日だった、という話なんだ。
以来、会社でも気違いの真似が流行り出すというわけだね。
内田のは特定の人物の物語りにしてしまっていたが、だいぶちがっているだろう?
僕はチャンスがあったら、元の形で一度撮ってみたいと思っている。
さて、出征して十四年に帰って来てから、「お茶漬の味」の脚本を書いた。
戦後のとはだいぶ違うよ。
出征する男の話なんだ、出征する晩に妻君としみじみお茶漬を食う話なんだよ。
処がこれがひっかかってね。
つまり、赤飯を祝うべき出征の前晩にお茶漬を食うとは何事か、というのだね。
不真面目だと言うんだよ。
僕も直せるなら直したいとは思ってたんだが、これじゃ話にならない。
降りちゃったよ。」
(引用:「自作を語る」)
■ストーリー
大学の医学博士である小宮は、大の恐妻家だった。小宮と妻の時子は二人で暮らしているが、そこへ大阪から姪の節子が遊びにやってきた。
ある週末、あまり気乗りのしない小宮を、時子は無理やり泊りがけのゴルフへと送り出した。渋々家を後にした小宮は、ゴルフへは行かずこっそり馴染みのバーへと向かう。小宮の策略を見抜いた節子は、小宮が飲んでいるバーへやってきて、時子には内緒にする代わりに料亭へ連れて行って欲しいと頼む。
小宮は仕方なく節子の希望をかなえるが、すっかり酔っ払ってしまった節子は一人では帰れなくなってしまった。困った小宮は、大学の助手岡田に頼んで節子を家まで送り届けさせた。小宮は、アリバイ工作のために用意した手紙を投函したが、後になって当日の天気が全く違っていたことを時子に追及され、とうとう嘘がばれてしまう。
激怒する妻に対し、ひたすら頭を下げ許しを請う小宮を見て、節子はもっと夫らしく毅然とした態度で臨むようにけしかけた。節子の言葉に後押しされた小宮は、思い切って時子に平手打ちをくらわした。我に返った時子は、後で節子から事の真相を聞かされ、自分も言い過ぎだったと反省した。小宮も手を上げてしまったことを謝り、すぐに夫婦は仲直りした。
まだ釈然としない節子だったが、「女房には下手に出て、花を持たせてやるのが夫婦円満の秘訣だ。」などと調子のいい事を言う小宮の話に、妙に納得してしまい大阪へと帰っていった。
栗島すみ子・・・麹町の夫人時子
斎藤達雄・・・その夫小宮
桑野通子・・・大阪の姪節子
佐野周二・・・大学の助手岡田
坂本武・・・牛込の重役杉山
飯田蝶子・・・そのマダム千代子
上原謙・・・大船のスター
吉川満子・・・田園調布の未亡人光子
葉山正雄・・・その子藤雄
突貫小僧・・・近所の小学生富夫
鈴木歌子・・・料亭の女将
出雲八重子・・・女中のお文
立花泰子・・・酒場のマダム
大山健二・・・大学の先生