父ありき
笠智衆 津田晴彦
父ありきは、小津安二郎第39作目の監督作品である。
1942年(昭和17年)に公開され、小津自身は39歳であった。
晩年、「自作を語る」の中では、次のように述べていた。
「笠は「一人息子」のトンカツ屋の親父からうまくなったと思ったね。
息子をやった津田少年は今どうしてるかな、一度会いたいと思っている。
これは前に書いた脚本を直して使ったのだが、映画というものは年が進むと段々キメが細かくなってくるものでね、昔書いたものもそのままでは直ぐ使えなくなってしまう。
だから僕だって書き直し書き直しで、この点では進歩してるつもりなんだよ。
―――このあと、「遥かなり父母の国」の脚本を書いて、南方へ行って二十一年のはじめに帰って来た。
「遥かなり」は残してあったのだが、この間の火事でどうなったか。
佐野と笠の兵隊の話でね、やれば面白い話になったと思うんだが、軍の考えてた処とちがってたらしくてね。
……もっと勇ましい話を、と言うんだな、それじゃ僕はおりるよ。
このあたり随分僕は寡作になっているが、こちらにいる限り年一本は撮っているんだからね。
もし戦争がなかったら、最少限度あと七本は写真が増えてる勘定だよ。」
(引用:「自作を語る」)
■ストーリー
金沢で中学の数学教師をしている堀川周平は、早くに妻を亡くし、息子の良平と二人で暮らしていた。周平は、中学の修学旅行で箱根の芦ノ湖へ行った時、教え子をボートの事故で亡くしてしまう。責任を感じた周平は、同僚の平田たちが引き止めるのも聞かず教師を辞職した。
周平は良平を連れて、自分の生まれ故郷である信州の上田へ戻ってきた。周平は地元の役場へ再就職が決まり、良平も徐々に新しい土地での生活に慣れてきた。やがて良平は中学に合格し、寄宿舎生活を送ることになった。
周平は、良平が大学まで進学できるように、より安定した収入を得るために東京を目指す。良平は悲しんだが、父の考えに従い二人は別々に暮らすようになった。その後、何年間かは父と息子は時々しか会うことができなかった。
良平は大学を卒業後、父と同じ教師の道へ進むこととなり、秋田の学校で教職に就いた。二十五歳になった良平は、ずっと離れていた父と一緒に暮らすために、教師を辞めて東京へ行くことを望んだ。しかし、父から「自分は残念ながら続ける事ができなかったけれど、お前は教師を天職だと思って最後まで頑張って欲しい。」と説得され考え直した。
ある日、周平は碁会所でかつての同僚平田とばったり出会った。平田によると、かつて金沢の中学で教えた生徒たちが東京には十数人おり、周平のことを聞いて同窓会を開いてくれるという。久々に教え子たちと再会した周平は大いに喜んだ。ところが、翌朝になって周平は突然胸の痛みに襲われ倒れた。
良平は急いで周平を病院に連れて行ったが、もはや手の施しようもなく良平の目の前で息を引き取った。やがて、良平は平田の娘ふみと結婚した。二人は父の遺骨を抱き、汽車に乗って秋田へ向かった。車中、良平は自分が小学校以来一度も父と暮らすことができなかったことを悔やみ、ぜひ平田とふみの弟も秋田に呼んで、皆で一緒に暮らしたいと思った。
笠智衆・・・堀川周平
佐野周二・・・良平
津田晴彦・・・少年時代
佐分利信・・・黒川保太郎
坂本武・・・平田真琴
水戸光子・・・ふみ
大塚正・・・義清一
日守新一・・・内田実
西村青児・・・和尚さん