生れてはみたけれど


早見照代 坂本武 斎藤達雄 菅原秀雄 突貫小僧 笠智衆

生れてはみたけれど生れてはみたけれどは、小津安二郎第24作目の監督作品である。
1932年(昭和7年)に公開され、小津自身は29歳であった。
晩年、「自作を語る」の中では、次のように述べていた。

「これは子供の写真を一つ撮ろうという気持から生れたのです。
子供からはじまって大人に終る話……。
最初は割合明るい筈だったんだが、撮影中にはなしが変って行っちゃってね。
出来たら大変暗くて、会社はこんな暗い話とは思わなかったと、完成してから二ヵ月ばかり封切を控えたくらいだった。
それにこの写真で、僕ははじめて意識的にフェイド・イン、フェイド・アウトを使うのを止そうと思って、カットで終らせてみた。
このあとでも、たしかやっていないでしょう。
大体O・LとかF・I、F・Oというのは映画の文法でもなんでもありゃしないんだ。
あれはキャメラの属性なんだよ。」
(引用:「自作を語る」)

■ストーリー
小学生良一、啓二兄弟の父、吉井は普通のサラリーマンだった。吉井は、東京郊外にある重役岩崎の家の近所に引っ越して、出世の機会をうかがっていた。

良一と啓二は、地元のいじめっ子や岩崎の息子太郎らと初めて会ったとき喧嘩になった。いじめっ子の報復を恐れた二人は、学校をズル休みした。学校の先生が家庭訪問に訪れ、父親に二人のことを話したため、二人は父親から大目玉を食らう。

やがて、二人は悪ガキ仲間と友達となり一緒に遊ぶようになる。その中には、岩崎の息子太郎もいた。ある日、仲間から「うちの父ちゃんが一番えらい」という自慢話が出る。二人も自分の父親が一番えらいと信じて疑わなかった。

その晩、重役岩崎の家では活動写真の映写会が行われることになった。会社の連中や、近所の子供たちも駆けつけた。上野動物園や浅草など色々な場面が出たあと、会社の様子を映した場面が出てきた。そこには兄弟の父も映っていたが、変な顔をしたりタコ踊りをしたりして、岩崎にゴマをすりご機嫌伺いをしていた。

いつも自分たちには偉そうなことを言っている父が、なんとも無様な姿だったのだ。すっかり幻滅した二人は、食事も取らず学校をサボったりして父に反抗する。家族のためとはいえ、恥ずかしい姿を見せてしまい子供たちを失望させたことを後悔する吉井だった。

翌朝、いつものように父と息子たちは一緒に家を出る。近くの踏切に岩崎の車が止まっていた。子供たちの手前、近づくのをためらっている父親を見て良一が言った。「父ちゃん、早くお辞儀をしに行った方がいいよ。」映写会での出来事は、二人を少しだけ大人にしたようだった。

斎藤達雄・・・父ちゃん
吉川満子・・・母ちゃん
菅原秀雄・・・良一
突貫小僧・・・啓二
坂本武・・・岩崎

動画について

①ブルー・インパルス ②オーバー・ザ・ギャラクシー ③オンリー・ワン・アース ④輝く銀嶺 ⑤東京物語(吹奏楽アレンジ) ⑥彼岸花(吹奏楽アレンジ) ⑦秋刀魚の味(吹奏楽アレンジ)

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