出来ごころ
伏見信子 坂本武
出来ごころは、小津安二郎第29作目の監督作品である。
1933年(昭和8年)に公開され、小津自身は30歳であった。
晩年、「自作を語る」の中では、次のように述べていた。
「僕は深川で育ったんだが、その頃家に出入りしてた者に、のんびりしたいい奴がいてね、それが大体喜八のモデルになってるんだ。
池田も御徒町にいて、そういう奴を見てるから、二人で人物を創り出したわけだ。
この写真の中で唯一個所、親父が女に入りびたっているというので子供が学校で笑われて帰って来る、腹が立って親父の盆栽の葉をムシッちゃうんだ。
いい気分で女の処から帰って来た親父が子供を張り飛ばすと、子供は親父を殴り返すんだがね、そのうちに親父が急にシュンとなるんだな、
それをみると子供の方も親父を打つのをやめて泣き出す……という所があってね、
あすこだけはプリントがあればもう一度観てもいいような気がするな。」
(引用:「自作を語る」)
■ストーリー
日雇い労働者の木村喜八は、工場に勤めながら小学生の息子富夫と二人で長屋に暮らしていた。同僚の次郎と浅草の寄席へ行った帰り、道端で若い娘が所在なさげに立ちつくしていた。
気になった喜八が声をかけてみると、千住の紡績工場を解雇になってしまい行くところもないと言う。哀れに思った喜八は、行きつけの食堂の女主人おとめに頼み込んで娘を泊めてもらった。
娘は春江といい、おとめの食堂に住み込みで働かせてもらうことになった。喜八は若い春江に熱を上げるが、春江は次郎に好意を寄せていた。おとめも、春江を次郎と一緒にさせようと考えていたが、次郎は全く春江に興味がなく、冷たく彼女を拒否するのだった。
面白くない喜八は、酒ばかり呑んで仕事も休みがちになった。そんな父親の不甲斐ない姿に怒った富夫は、泣きながら父親の顔を叩いた。反省した喜八は、翌朝富夫に多目のお小遣いを渡して学校へ送りだした。
ところが、お金を手にした富夫はうれしくなって、たくさんの食べ物を買い込んで一度に食べてしまった。急性腸カタルを引き起こしてしまった富夫は、一時は命も危ないほどだったが、春江、おとめ、次郎らの懸命な看病のおかげで何とか持ち直した。
だが、そのあと富夫の治療代が喜八に重くのしかかってきた。次郎は喜八を助けるため、近所の床屋の主人から借金をして治療代を支払った。そして、次郎は借金返済のため北海道で人夫の仕事に就くと言い出した。
それを聞いた喜八は猛反対し、自分が北海道へ行くと言い張り、次郎を殴り倒して北海道行きの船に飛び乗った。しかし、富夫との別れに耐え切れないと悟り、船上から海へ飛び込み、息子の元へと戻るのだった。
坂本武・・・喜八
伏見信子・・・春江
大日方傳・・・次郎
飯田蝶子・・・おとめ
突貫小僧・・・富夫
谷麗光・・・床屋
笠智衆