小早川家の秋
原節子 森繁久弥 加東大介
小早川家の秋は、小津安二郎第53作目の監督作品である。
1961年(昭和36年)に公開され、小津自身は58歳であった。
野田記――蓼科での日記に小津君はこう託している。
「昭和三十六年、二月上浣より蓼科にこもりて『小早川家の秋』のシナリオを案ず。
乍暗乍曇、日々春暖に向ふ。
常に比して客少なければ酩酊高唱乱舞に至らず。
ために仕事大いに進みて四月二十一日脱稿をみたり」――
これは東宝の宝塚作品で、撮影は中井朝一氏。
スタッフは全部東宝系の人たちで、大船からは一人もつれていかなかったが、みんながほんとうによく働いてくれると大へん喜んでいた。
ストーリーのヒントは、よく蓼科へ遊びにきていた或る女の子の父親が突然心筋梗塞で倒れ、息子や娘たちが緊張して集まったところ、一夜にしてケロリと癒ったという事実に基づいたものだった。
(引用:「野田記」)
■ストーリー
造り酒屋を営む小早川万兵衛はずいぶん前に妻を亡くし、今では仕事を長女文子の亭主久夫に任せ、自身は悠々自適の暮らしを送っていた。長男は家業を嫌って大学教授になったが、妻の秋子と幼い息子を残して病気で死んだ。他には、適齢期を迎えた末娘の紀子がいた。
最近、万兵衛は頻繁に外出するようになり、不審に思った番頭の山口は、店員の丸山を使って尾行させた。しかし尾行は失敗し、万兵衛は素人旅館「佐々木」の中へ姿を消してしまった。
「佐々木」の女将つねは万兵衛の昔の愛人で、百合子という年頃の娘と暮らしていた。万兵衛は、毎日のようにつねと百合子のところを訪れ、それを知った文子に激しく非難された。そんなことはお構いなしの万兵衛だが、妻の法事には家族皆で京都嵐山まで行って食事会をするなど、家族思いの一面も見せるのだった。
ところが、その夜家に戻った万兵衛は、突然心臓の発作を起こし倒れてしまう。医者は今夜が峠だと言い、病状を聞いた親族が続々と東京や大阪から万兵衛の元へ駆けつけた。しかし、奇跡的に一命をとりとめた万兵衛は、また性懲りもなくつねの元に通いはじめるのだった。
万兵衛はつねと二人で競輪を楽しんだが、その晩つねの家で再び心臓の発作を起こし、そのまま帰らぬ人となった。万兵衛の葬式に小早川家一同が集まった。小早川家は、万兵衛という一家の大黒柱を失い一気に傾きはじめた。
紀子は、会社の同僚で札幌へ転勤した寺本の元へ行く決心をした。一方、秋子は再婚はせず、息子と二人で生きていくつもりだった。こうして、小早川家は火葬場の煙のように秋の空高く霧消していくようであった。
中村鴈治郎・・・小早川万兵衛
原節子・・・小早川秋子
小林桂樹・・・小早川久夫
新珠三千代・・・小早川文子
島津雅彦・・・小早川正夫
司葉子・・・小早川紀子
白川由美・・・中西多佳子
宝田明・・・寺本忠
浪花千栄子・・・佐々木つね
団令子・・・佐々木百合子
杉村春子・・・加藤しげ
加東大介・・・北川弥之助
東郷晴子・・・北川照子
森繁久彌・・・磯村英一郎
山茶花究・・・山口信吉
藤木悠・・・丸山六太郎
笠智衆・・・農夫