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小津映画の音楽 斎藤高順
私が初めて小津作品の音楽を担当したのが「東京物語」で、しかもこれが初めての映画の仕事でした。私にとっては全く幸運としか言い様がなく、逆に、小津監督としては何と大変な冒険をしたものかと今更ながら驚いています。
当時、小津作品の音楽は伊藤宣二さんが殆どおやりになり、時たま斎藤一郎さんがおやりになっていました。たまたま「東京物語」の撮影に入る時、色々な事情が重なって音楽監督が決まらず、大船撮影所の映画音楽指揮者である吉澤博さんに小津さんが相談された所、当時、ラジオドラマの音楽をポツポツやっていた音楽学校を出たての私が推薦されたと言うわけです。
しかも、それまで小津さんは私の作曲を何ひとつ聴いた事がなく、初めての打合せの時が初対面という位ですから、吉澤さんに対する信用が絶大なものだったのに違いありません。それと同時に、小津さんも随分思い切りの良い人だと感心させられてしまいました。
「今までどんな映画の音楽をやったの」と聞かれ、「今度が初めてです」と答えた折、笑いながら「こいつはいい」と言われたのがとても印象的でした。それ以後、「秋刀魚の味」までのほぼ十年間、途中二本ほど黛敏郎さんがなさった他は、一緒に仕事をさせて頂きました。
映画音楽に限らず小津さんが好んだ曲は、フォスター作曲のアメリカ民謡の殆ど、特に「スワニー河」や「オールド・ブラック・ジョー」などで、また「螢の光」や「アニーローリー」などのスコットランド民謡なども大変好まれました。また、何か集まりなどの時、一杯機嫌で歌う歌は、「湯島の白梅」や「遺骨を抱いて」等でしたし、そんな時よくアコーディオンを弾いていた村上茂子さんにリクエストする曲が、「ビヤダルポルカ」であり、「モンパリ」や「すみれの花咲く頃」などでした。これらの音楽はいずれも長調で、じめじめした短調の曲は好みに合わなかった様です。従って映画の中に入れる音楽もすべて明るい長調の曲が好まれ、短調の曲は殆ど用いられませんでした。
普通、映画の中に入れる音楽は、画面だけでは表現しきれない喜怒哀楽などを盛り込む事が多いのですが、小津作品では、音楽や効果音を入れる前のラッシュ・フィルムで既に何も必要としない程の完成度の高いものが出来てしまうので、普通の伴奏音楽は全く入る余地がないのです。後年になってからは、初めから音楽を入れる予定でセリフなしの長いシーンをよく撮る事がありましたが、大体は、日時が経過する時のブリッジ音楽や情景のバックに流れる音楽くらいで、画面からはみ出る様な音楽は一切いらないというのです。
「東京物語」の時、東山千栄子扮する老母が、亡き息子の嫁・原節子と寝ながらしみじみと語り合うシーンに、甘い旋律のバイオリンの曲を書いた所、これが鳩山寛氏の名演奏だったせいもあって画面にのり過ぎ、他のシーンよりうまく出来すぎてしまうから音楽をカットしようかともめていました。当時は、今と違って録音テープで先に音楽をとる様な事をしなかったので、このシーンのために、何回も何回も鳩山さんに演奏して貰い、結局きこえるかきこえないか解らない程小さく音楽を入れてしまいました。この後、こういう種類の音楽を入れる事はまずありませんでした。五里霧中のうちに終った仕事でしたが、大変小津さんは喜んで下さり、次の「早春」も、私に音楽を委せて下さる事になったのです。
この「早春」でも難題にぶつかってしまいました。主人公の友人が不治の病にかかってしまい、そこを主人公が訪ねて慰め励ますシーンに音楽を入れろと言うのです。へたすると「東京物語」の二の舞ですし、どうしたら良いのかと、いろいろと悩み考えました。そこで再び小津監督と打会せをした所、「サセパリ」とか「バレンシア」の様なリズミカルな曲が窓の外から聞こえてきたら面白いじゃないか、と言う事に話が決りました。もちろん「サセパリ」などをそのまま使う事は出来ませんし、それよりも、こんな深刻なシーンにあんな軽快な曲を入れて大丈夫だろうか、とだんだん心配になって来ました。しかし、とにかく作曲にとりかからなくてはなりません。
そこで「サセパリ」と「バレンシア」の二つの譜面をながめていた所、面白い事に気がつきました。二曲ともメロディーの要所要所が、音階の中のある全く同じ音で決まっているのです。ある特定の一曲を真似れば盗作になる恐れがありますが、二人の違った作曲家のそれぞれの曲から、共通点をそのまま頂いて全く別の曲を作るのなら誰にも文句を言われないと思い、そうやって作り上げた曲をそのシーンで使う事にしたのです。
「サセパリ」や「バレンシア」と同じく軽快な8分の6拍子で、しかも同じ変ロ長調、メロディーの要所要所できまる音が、これまた同じ音。違う所と言えば、曲の途中でさりげなく短調に転調したかと思えば、また長調に戻る事や、長調なのに主音の「ド」よりも「ラ」の音を主にして何となくペーソスを持たせた点で、これがこのシーンにマッチして、明るいリズムなのに、何故か物悲しい気分をかもし出す事に成功したのです。小津監督の意図がすぐれていた事は否定しませんが、この作曲は我ながら良く出来たと今もって自負して居ります。もちろん小津監督も大変気に入られて「東京暮色」では全篇のテーマ曲として使われ、また「彼岸花」でも使われました。なおこの曲の名を小津監督自ら「サセレシア」と命名しました。つい先頃、まだ二十代の若い作曲家が小学校の頃、「東京暮色」を見たと言って「サセレシア」のメロディーを口ずさんだのには驚きもし、また面映ゆくもありました。
楽器では弦楽器が大そう好きで、フルートなどの木管楽器はともかくも、ホルン以外の金管楽器を使う事はあまり好みませんでした。また自分から長調にしろなどと注文をつける事はなかったのですが、短調の曲を書けば必ずいやな顔をされるので、自然と書かなくなってしまいました。しかし、長調の曲の中で一時的に短調に転調するのは、むしろ好まれた様です。弦による甘く明るい大らかな旋律、明るい中に一抹のわびしさを感じさせる様な和声の進行――私が作る音楽は、大体において小津さんの好みと一致しました。
「サセレシア」を作曲してからは、その曲を何度も別の作品に使ったばかりでなく、同じ様にリズミカルな曲をしばしば注文なさいました。「浮草」や「秋日和」ではポルカ調の曲を全篇に流しました。「秋刀魚の味」ではもう一度、「サセレシア」を使いたいと言われたのですが、私が新しい曲を作りたいと頑張って「秋刀魚の味のポルカ」を作った所、またまた大変喜ばれて、このメロディーに自分で作詞するとまでおっしゃいました。もしその後も何本か映画を作られたら、きっとこの曲の歌入りのものが再び登場したのではないかと思い、本当に残念でなりません。
小津さんの映画にはいつも同じ俳優が同じ様な役柄で登場し、同じ様なセリフを言って居ましたが、音楽も同様で、一度気に入った曲は別の作品に何度も使用されました。しかも不思議にその画面にとけ込んでしまうのです。もちろん気に入らない曲は作り直されたり、気に入った曲と入れかえさせられたりしました。他の監督さんの場合では考えられない事ですが、これらはダビング(音楽や効果音を画面に合わせて録音する事)の数日前に、実際にオーケストラを呼んで行なう試聴会でなされるので、ダビング中にダメが出る事は全くといっていい程ありませんでしたし、納得のいくまで書く事が出来たので、いつも気持よく作曲が仕上りました。
「小津安二郎 ―人と仕事―」(蛮友社)より引用