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20歳校歌に再会|警視庁前音楽隊長 曲贈ったパリ日本人学校へ
世界 事件 ひと 話題|1997年(平成9年)9月27日(土曜日)
「世界のお巡りさんコンサート・イン・ヨーロッパ」(毎日新聞社主管、東京都など後援)に参加する警視庁音楽隊(牟田久寿隊長、66人)は25日夕(日本時間26日未明)、最初の訪問国フランスに到着。現地時間26日午後には、日仏文化学院パリ日本人学校を訪れ、特別コンサー卜を開いた。コンサートには、同校開設時に校歌を贈った作曲家で前隊長の斎藤高順さん(72)=東京都世田谷区=がゲストとして招かれ、約20年ぶりに、自らが作曲したメロディーに“再会”。校歌を元気に斉唱する子供たちの姿に、斎藤さんは感無量の様子だった。
世界のお巡りさんコンサートに自費同行
「作曲したのは20年以上も前の話。忘れていたメロディーを、可愛い歌声で思い出した。パリで歌い継がれていたんですね。音楽隊の初の海外公演で、こんなすてきな体験ができて幸せです」。拍手に応えて立ち上がった斎藤さんは、何度も何度も頭を下げた。
斎藤さんは、邦画全盛期に映画音楽を数多く手掛けた作曲家。1947年に東京音楽学校(現東京芸大)を卒業、まもなく映画監督の故小津安二郎さんと出会い、53年封切りの「東京物語」から遺作「秋刀魚の味」まで、小津7作品の音楽を担当した。邦画に陰りが見え始めた72年、航空自衛隊音楽隊の隊長に就任。76年から10年間、警視庁音楽隊隊長として活躍した。
「欧州公演」への参加は偶然だった。警視庁音楽隊は今回の海外遠征で、メーンコンサート以外に、日本の子供たちのために演奏会を企画。パリ日本人学校から校歌の楽譜を取り寄せたところ、作曲者の欄に斎藤さんの名前があった。
「あの曲はどんなメロディーだっただろう」。斎藤さんは、自費での同行を決意。15年前に脳腫瘍を患い、体が十分に動かない斎藤さんを、妻の園子さん(67)が支え、夫婦でフランスまでやって来た。
コンサートは約1時間行われ、小中学生約250人が楽しんだ。
5年生の横田知美さん(11)が「日本人学校の卒業生はみんな世界各地に散ってしまいますが、斎藤さんの校歌が、みんなをしっかりと結びつけていてくれます」と感謝の言葉を述べた。花束を受け取った斎藤さんは、感激で涙ぐみながら、笑顔をみせた。
警視庁音楽隊は、27日にパリ警視庁とコンサートを開き、28日にパリ市内をパレード、30日にはマドリードでスペイン国家警察音楽隊と共演する予定。
【矢崎公二】