明るくさわやかに

横浜音楽文化協会会長の斎藤鶴吉(チェリスト)から連絡があった。「読んでますよ。よろしかったら、兄をご紹介しましょうか」。当方、意味を測りかねた。「兄は作曲家で、小津映画をいくつも手がけていますから」
資料を調べ、不明を恥じた。斎藤高順(たかのぶ)。「東京物語」から遺作「秋刀魚の味」まで、小津安二郎監督晩年の九作品のうち、「お早よう」と「小早川家の秋」を除く七本の音楽を担当している。ちなみに「お早よう」と「小早川家の秋」の音楽は黛敏郎。
急きょ、東京・世田谷の斎藤高順宅を訪ねた。
斎藤が小津監督に初めて会ったのは、昭和二十七年の初秋。その日が、いきなり「東京物語」の音楽打ち合わせになった。
「それまで、ラジオドラマの音楽を作っていました。友人の声楽家が、大船撮影所で指揮をしていらした吉沢博さんを紹介してくれたんです。そうしたら吉沢さんが『小津監督が新しい音楽監督を探してる』と」
偉丈夫の監督が怖そうに見えたが、名匠は優しく
小津「今まで、どんな映画音楽を?」
斎藤「今度のお仕事が初めてなんです」
小津「(笑って)そいつは、いいや」
映画音楽のデビューが、小津の最高峰「東京物語」。
「小津監督が脚本を示しながら『こことここに、音楽を入れよう』と指示する。脚本を書いている段階で音楽も頭に入っているんだなぁ、と感心したものです。その後、ほかの監督とも組みましたが、撮影が終わっても、音楽が決まらないことがありましたから」
小津映画は、ドンゴロスと呼ばれる麻布の模様をバックにしたタイトルと、弦楽中心の美しく、さわやかな音楽で幕を開ける。ストリングス(弦)にフルート、クラリネット、オ—ボエ、ホルンなどを好んだ。

御前演奏会

そして小津組特有の“御前演奏会”。完成した音楽を、録音本番前に、監督臨席の下で演奏する。オーケストラ編成も、本番並みだ。
「NGが出たらどうしようと、どきどきしていたら、監督が『今度の音楽、なかなかいいね』とおっしゃって。録音本番まで直しがありませんでした。うれしかったですねぇ」
その新人音楽監督が、なんと小津に注文を出した。
「東京物語」で、原節子と義母役の東山千栄子が、しみじみ語り合う場面。バイオリンのソロが入るが、音量がとても小さい。「もう少し、大きく使ってもらえませんか」。小津は「いい音楽だけど、ここだけ目立ってしまう。全体のバランスのためには、小さい方がいいんだ」。
小津の盟友で「東京物語」などの脚本家・野田高梧が言う。「小津君は、映画音楽を映画の流れを滑らかにするものと考えていた。斎藤君の音楽はさわやかで、清潔感があり、その役割を十分に果たしたと思う」

「美しい画面には、美しい音楽があった」

「早春」には、こんなケースがある。
池部良のサラリーマンが、病気の友を見舞う重苦しい場面に音楽を入れることになった。小津の注文は「『サ・セ・パリ』や『バレンシア』のような、歯切れのいい、元気な音楽を」。
斎藤は「監督は『悲しい場面に悲しい音楽では、映像が相殺される』と考えていらした」と振り返るが、小津はもともと感情過多を嫌った。「悲しい場面に悲しみをぶら下げたような演技をするな」「感情過多はドラマの説明にはなるが、表現にはならない」。
そして、完成したメロディーを小津は気に入り、自ら「サセレシア」と名付けた。「サセレシア」は、次作「東京暮色」で全編に流れる。遺作「秋刀魚の味」でもそれをという話になったが、斎藤は「違う曲を作ります」と“抵抗”し、できあがったのが「ポルカ」。これまた、好評だった。
「次も『ポルカ』を」と望んだ小津は、忍び寄る病に気づいていたのだろうか。
「彼岸花」「お早よう」「秋日和」「秋刀魚の味」に出演した佐田啓二が、斎藤高順の小津映画音楽を集めたアルバムに短文を寄せている。「小津先生の人生は美しかった。作品はもちろん美しかった。美しい画面には、美しい音楽があったからだ」
斎藤宅を辞した帰途、取材に同行した弟の鶴吉は「生誕百年の年に、兄が作った小津メロディーを、私も加わって神奈川フィルで演奏できたらいいな」などと考えていた。=敬称略
(編集委員・服部宏)

動画について

①ブルー・インパルス ②オーバー・ザ・ギャラクシー ③オンリー・ワン・アース ④輝く銀嶺 ⑤東京物語(吹奏楽アレンジ) ⑥彼岸花(吹奏楽アレンジ) ⑦秋刀魚の味(吹奏楽アレンジ)

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