日本歌曲振興会一新・波の会 第47号会報より

斎藤高順 《2000年6月発行》
芸術の分野は大きく分けると観るものと聴くものに分けられます。実際には両方総合されたものも多くありますが、大きく分ければ絵画・彫刻等の美術と器楽・声楽等の音楽に分けられます。美術作品は観る人の情感により異なるものは当然ですが作品そのものは作られた時点で完成され、昔の作品が現代になって変化することはありません。
音楽はまず作曲家によって楽譜が作られますが、楽譜は建築の設計図と同じく、設計図だけでは人は住めないのと同様、楽譜だけ見ても音楽は聴こえません。演奏されたり歌われることによって音楽となります。
美術作品の展覧会では新しい作品と並んで古代の作品が展示されることはまずありません。音楽会では昨日仕上ったばかりの新作と昔の名曲とが同じプログラムに並んで演奏されたり歌われたりすることは珍しくありません。
音楽は昔の作品でも演奏されることによって新しく生きるので、決して古くはなりません。しかし同じ楽譜を見て音はまったく同じなのに演奏者が変わるとまったく別の音楽が誕生します。
同じ人が同じ曲を演奏しても昨日と今日、また明日とでは曲は同じでも音楽は異なります。
例えば一つの曲でもレピートやD・CまたはD・Sで、くり返す時少々違った演奏をするのは当然です。音楽は生きているので人間の鼓動と同じく一定ではないからです。まったく同じにくり返すのは録音テープで再生する以外不可能ですし、メトロノー厶記号も単なる目安でメトロノー厶に合わせた演奏など音楽とは言えません。以前レコードの広告で「〇〇の決定盤」と言うのを見たことがありますが、録音の翌日同じ曲を更に素晴らしく演奏しているかも知れません。決定盤などあり得ないでしょう。
私は自作を演奏してくれる人に細かい注文を押しつけないよう気を付けております。楽譜は机の上で五線紙に書くのですが、その時のイメージに拘っていては演奏者の幅広い解釈や素晴しい表現を損なってつまらない音楽になる恐れがあるからです。
歌曲では作曲される前に詩が重要な存在となります。詩そのものは文学作品ですが、作曲されて歌曲となれば音楽作品となります。また、作曲者が異なるとまったく別の作品となります。そして、それぞれが声楽家によって新しい音楽が誕生するのです。
さて、音楽と人生について述べることに致しましょう。
人生は時間である。と言われます。良い時間が多い程良い人生となる訳です。
音楽は時間的芸術ですから人生と深い係わりがあるのは当然です。
例えば、二時間のコンサートの演奏会は聴く人の二時間の人生を任せられることとなり、聴衆が千人の演奏会場では二千時間の人生を預けられる訳です。良い音楽は良い時間即ち良い人生、に大いに貢献することになります。良い音楽を作ることに努力致しましょう。
(作曲部門)

動画について

①ブルー・インパルス ②オーバー・ザ・ギャラクシー ③オンリー・ワン・アース ④輝く銀嶺 ⑤東京物語(吹奏楽アレンジ) ⑥彼岸花(吹奏楽アレンジ) ⑦秋刀魚の味(吹奏楽アレンジ)

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