信時潔に関するアンケート

(1)信時潔と御交友の時期はいつ頃でしたか。どんな交友関係でしたか。

師弟の間柄ですので、(4)に記します。

(2)信時潔と御交友のあった方、弟子などご存知でしたら、御芳名、御住を教えて下さい。

私の結婚式(昭和30年5月6日)で初対面なのに、意気投合された方に映画監督の(故)小津安二郎氏が居られた。信時先生は当時芸術院会員であられたが、数年後小津監督が芸術院賞を受賞されたり、芸術院会員に選出されたりして、お互いがお会いする機会も増した事は、また素晴らしい事であった。
私が音楽学校に在学中、一時期副科のピアノを(故)豊増昇先生に師事した事があった。豊増先生は信時先生作曲のピアノ曲を殊の外好んでおられ、よく演奏会のプログラムに加えて居られた。後年豊増先生も芸術院会員になられたが、これも深い因縁と思われる。
同級の奥村一は四年間何時も同じレッスンを信時先生から受けたが、一年先輩の大中恩(寅二の息子)とも顔を合わせる事があった。二人とも作曲科として有名人となって居るので、住所等は省略させて頂く。

(3)信時潔の手紙・写真ほか関連資料をお持ちでしたらお知らせ下さい。

私が結婚した時、先生にご媒酌をお願いしたが、御祝いとしてモーツァルト作曲のオペラ「魔笛」のフルスコア(Eulenburg)を頂いた。411頁に亘るスコアであった。
その後ピアノ曲集「木の葉集」が再出版された際、署名入りでお贈り頂いたが、何れも現在家宝にしている。尚昭和7年刊「六つの舞踊曲」昭和11年刊「木の葉集」「独楽吟」何れも初版を所有。写真は私の結婚式の記念写真があり、先生にもお届けした記憶があるが、もし無ければいつでもお見せする用意がある。
音楽学校卒業の折、ご一緒に写したのがあるはず乍ら、私は持っていない。
奥村一が大切に所有している物を拝見させて貰った事があるので、彼は持っていると思う。
先生が叙勲を受けられた時に、学校音楽(新聞)に私が執筆したものが自分の手許にあったので、コピーを同封した。

(4)信時潔の次のことがらについて、ご存知のエピソード・思い出・感想等、思いつくままにお書き下さい。

①音楽学校学生時代(明治39年〜大正4年)
②留学時代(ドイツ 大正9年〜11年)
私の生れる前のことで全く存じ上げない。
③授業・レッスン•音楽教育
昭和18年4月東京音楽学校本科作曲科に入学した時から先生への師事が始まった。毎週の決まった時間に同級の奥村一君と二人同時に先生のレッスンを受けた。作曲科の同級生は私を含めて四人であったが、他の二人(芥川也寸志、依田昌忠(光正))は下総皖一先生に師事が決められた。
信時先生の授業はバッハのコラールの旋律を用いて新しく四声体を作る事から始まり、次に生徒の作品(主にピアノ曲や歌曲等)を見て頂くのであるが、ほんの少し手直しして下さると、作品が見違える程、実に見事になるので、奥村君と顔を見合わせて、只々驚嘆するばかりで、我々の力の不足を思い知らされる事の総てであった。しかし不思議な事にそれが楽しみでもあったのです。
レッスン室には立派なグランドピアノ(確か高音が四本弦のブルートナーか?)が置かれてあり、先生は私どもの作品をそのピアノで弾き乍らレッスンをされたが、興が乗ると、口中に唾液が溜り、溢れ出てピアノの鍵盤が濡れる事があった。その直後に我々が弾く様に命ぜられた時は、指先に先生の唾液が附き、やめる訳にも行かず困った事があった。今では奥村君と思い出して笑い合う楽しい思い出の一つとなった。又我々が作った曲の旋律が少々不自然だったりする箇所があると、わざと強調して、おかしく弾かれ、その時の恥ずかしさは今も忘れられない。その様にして私達は本当の作曲法を覚えさせて頂いた。
④音楽観
先生は作曲家とは自分の作品が多くの人々に演奏され、又聴いて頂ける事にこそ喜びを感ずるべきで、作曲によって収入を増やす事は良くないとお考えの様に見えたが、実に立派な事で、共感は湧くものの、とても真似のできない事である。
⑤作品
作品は総べて格調が高く、永遠に残る名作づくめと考えられる。
⑥人がら
⑦その他
先生は我々がどんな稚拙な作品をご覧に入れても、大声で叱られた事は全く無かった。先生の温かいお人柄に魅せられ、卒業後も御無沙汰はしていたものの、いつも思い出しては感謝の気持は持ち続けた。
しばらくして、作曲の演奏会に恐る恐るご招待すると、必ず出席され、楽屋迄はお見えにならない代り、いつも感想をのべ、激励をされるお手紙を忘れずにお寄せ下さった。
そのほか、お知らせもしないのに、映画や放送(ラジオやテレビ等の劇の伴奏)で私の作った音楽を聴かれると、その感想に助言を交えたお便りを下さる事も度々あり、その度に感動しては成長して行った。
昭和30年の春、私が現在の妻と婚約したが、先生は快くご媒酌を引き受けて下さり、同年の5月霊南坂の教会で挙式をした。その時のオルガンを(故)大中寅二氏が弾いて下さった事もなつかしい思い出となった。
後年私の四男が誕生した折に先生と同じく「潔」と命名したくなり、先生に電話で相談した所、何と先生は、「それは光栄だね。」と、私がお礼を言うより先におっしゃられ、嬉しさは当然の事、むしろ感激してしまった。その四男潔も今や20歳、大学2年生となった。先生は今も私達の心の中に生きつづけて居られます。

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動画について

①ブルー・インパルス ②オーバー・ザ・ギャラクシー ③オンリー・ワン・アース ④輝く銀嶺 ⑤東京物語(吹奏楽アレンジ) ⑥彼岸花(吹奏楽アレンジ) ⑦秋刀魚の味(吹奏楽アレンジ)

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