空音OB会だより【第5号】平成4年(1992年)5月1日発行

航空音楽隊の想い出――斎藤高順

航空音楽隊の頃の事を述べる前に何故吹奏楽に拘る様になったかを記述します。
終戦前一年足らずを、東京音楽学校(現・東京芸術大学)在学中のまま、陸軍戸山学校に入校させて頂きました。人員は私を含めて十四人でした。そのお蔭でアルトサキソフォンを習得し、又、作曲専攻であった事から、吹奏楽曲の作曲を命ぜられ、かなり吹奏楽曲の作り方を身に付けることが出来ました。これが吹奏楽との最初の出会いです。
終戦後再び音楽学校に戻り、卒業した後は、作曲家の道に入り、器楽や声楽等の作曲に力を注ぎました。が、生活の手段として映画音楽や放送等の作曲を依頼されて、曲を創りました。又、吹奏楽曲も出版社からの依頼で、行進曲等を作曲しました。
一九六九年の秋、翌年予定されていた大阪万国博に出品する「みどり館アストロラマ」の音楽の作曲を、製作担当の学研から依頼されました。大凡の音楽はNHK交響楽団等のピックアップメンバー四十数人で演奏録音しましたが、台本の中に吹奏楽団のパレード場面があり、演奏録音と撮影が必要なので、担当者から相談を受けた私は、前から好きだった航空音楽隊に、是非頼んで欲しいと注文したところ、音楽隊からも快諾を得、駒沢公園で撮影が行なわれました。そのために作ったマーチが後の「輝く前進」の原曲です。又、この事が私と航空音楽隊との深い縁の始まりだったのです。
万国博と同じ一九七〇年、航空音楽隊定期演奏会の為に、今度は私が行進曲の作曲を依頼されました。編隊飛行をイメージして作曲しましたが、曲名を決められずにいたところ、音楽隊のトランペット奏者である関雄策氏提案の「ブルーインパルス」が、全隊員賛同で命名されました。初演は三代隊長塚原国男氏の指揮で行なわれ大変好評でした。又、翌年にも作曲を依頼されて、輸送航空団を讚えた行進曲「フライング・エキスプレス」を、初演されました。
このような経緯があり、一九七二年の六月、航空音楽隊(現・航空中央音楽隊)に、入隊を命ぜられ、翌七月に、第四代隊長に就任致しました。在任中の想い出は数々あり、とても全ては記述できませんが、特に印象に残っているものを上げます。
私はそれまで作曲料を貰って生活を支えていたのに、音楽隊に勤めてからは、作曲もしないのに俸給を頂けることが、何とも申し訳なく思い、交響詩「オンリー・ワン・アース」を作曲し、米、第五空軍軍楽隊との合同演奏会で、初演しました。その後は定期演奏会の度に、新作を初演させて頂き、数曲にもなりました。その功績により航空幕僚長から賞詞を頂きました。
又、私が在任中、各レコード会社から数多くのレコーディングが行なわれ発売されましたが、その数はLPにして十数枚にもなりました。その中に当時としては画期的な企画で、「石川晶とカウントバファロー」との競演で、吹奏楽で口ックを演奏したレコードも発売されました。
他にどうしても忘れられない事は、一九七四年九月十一日から二週間、陸、海、の隊長三人で、スイスで行なわれた国際軍学祭に参加するために渡欧した事です。途中フランス、ベルギー、オーストリア、ドイツ等に立ち寄られた事は何よりも幸運でした。特にフランスでは、パリのギャルド・レププリケーヌ軍楽隊に伺ったとき、隊長のブートリー氏の指揮で数々の名演を我々に披露してくれて、その上、ご自分が作曲した楽譜を沢山下さいました。私もお礼に拙作「オンリー・ワン・アース」を差し上げたところ、大変喜ばれ、後に実際に演奏したプログラムを送って頂きました。
又、後年ギャルドを引き連れて来日した際にも、プログラムに加えて頂き、招待を受けた私は、感激して自作を聴きました。
この事は一生忘れないでしょう。
それから貴重な体験をしたことがあります。それは百里基地のある部隊から隊歌の作曲を依頼された時です。つい気軽に「ジェット戦闘機に乗せて頂ければ素晴らしい曲が出来る。」と言ったところ、本当にセッティングされ、F1O4の複座機に乗せて貰うことになりました。医学実験隊で適性検査を受け何とか合格をして、百里に行きました。訓練用の複座機ですから前にパイロット、後部は私で操縦かんは前と同じに動きますが絶対に触れるなと言われ、押しボタン一つ一つの説明を受け、押すと機外に飛び出すボタンの事を聞くと、生きた心地が無くなってしまいました。冷汗を流しながら、横向きに飛んだり、タッチアンドゴー等を経験させて頂き、クタクタになって機から下り、基地司令に挨拶に伺ったところ、司令もF1O4に乗られた事があり、その時は上空でエンジントラブルがあり、危うく助かった話を聞き、乗る前に聞かなくて良かったと、今でも考えれば身の毛もよだつ思いがします。隊歌は無事作曲出来、大層喜ばれました。
この他忘れられないのは、佐藤元総理の葬儀で演奏に参加したときの事です。葬儀場の入り口で整列して待機して居たのですが、次々参上するVIPに続き当時の三木総理が入り口に来られたとき、一人の暴漢が総理に飛び掛かり倒しましたが、犯人はすぐ取り押さえられました。これは一瞬の出来事でしたが、各社のカメラマンはそれを捉え紙面に載せました。
その写真には微動だにしない隊員と私も一緒に写されていました。この事が物議をかもしだしましたが、当時の角田幕僚長は私を呼び、「一切気にするな」と慰めてくださいました。
その他にも私の在任中は数々の事がありましたが、何もかも今では皆楽しい想い出です。航空音楽隊長時代は、私の人生の最も輝かしい一ページになることでしよう。
最後に「航空中央音楽隊に栄えあれ!!」

sight-and-art.org

動画について

①ブルー・インパルス ②オーバー・ザ・ギャラクシー ③オンリー・ワン・アース ④輝く銀嶺 ⑤東京物語(吹奏楽アレンジ) ⑥彼岸花(吹奏楽アレンジ) ⑦秋刀魚の味(吹奏楽アレンジ)

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