座談会・作曲家から見た吹奏楽(岩井直溥、兼田敏、斎藤高順)

出席者:岩井直溥、兼田敏、斎藤高順
司会:山田定邦(本誌)

山田 日本の吹奏楽も盛んになってきて、それにともなって、マーチの水準から脱してオリジナルもの、編曲ものを多くとりあげるようになりました。それにつれて、日本人の作品も多くなってきたのですが、ひじょうにいい傾向だと思います。
それで今日は、そういうオリジナル作品を作っていただいている、あるいは編曲をされている先生方をお招きして、作曲家から見た日本の吹奏楽界に対する要望とか、現状について、感じられたことをお話しいただきたいと思います。
その前に、わが国でも、吹奏楽曲をお書きいただける人が多くなったといっても、まだ限られているので、なぜ先生方が吹奏楽に興味を寄せられたかについておうかがいしたいと思います、まず斎藤先生。

■吹奏楽曲を書き始めた動機

斎藤 吹奏楽曲を書くきっかけですか。私がとにかく譜面に吹奏楽を書いたというのは、かなり古いことになるんです。昭和十九年に軍楽隊に入り、終戦までいたわけなんですが、たまたま軍楽隊で部隊歌をつくるとか、新しい序曲を作るとかいうことで、作ってみないかといわれ、隊の方にいろいろ教って書き始めたのです。それが始めですが、終戦になって音楽学校にもどってからは、吹奏楽にはご無沙汰してしまいました。
最近、秋山先生や大石先生など、吹奏楽で活躍していらっしゃる方々とお会いする機会が多く、オリジナル曲を書かないかとたきつけられて、書き始めたわけです。まだ数曲ですが。楽しい雰囲気のものですから、吹奏楽人のお集りにもよく顔を出すようになったので、いまでは吹奏楽の作曲家のうちに加えられてしまって……
山田 岩井先生は楽しい曲の吹奏楽の編曲が多いのですが、そのきっかけというような……
岩井 ぼくの場合は、ぜんぜん皆さんと違って、いわゆる作曲のほうの勉強から入ったわけでなく、音楽学校が器楽科の管楽器だったのと、小、中学校は上海で、そこで小さなブラスバンドを編成していて、譜面がなかったものだから、自分で編曲したりしてということで、この道に入ってしまったわけです。
またポピュラー曲の編曲が多いのは、終戦後、ジャズバンドで演奏していた関係もありますけれど、好きなんですね。僕はポピュラーなども、どんどん取りあげていっていいと思うのです。
山田 たしかにオリジナル曲ばかりのプログラムではつまらない。それに吹奏楽の底辺を広げるには、大事なレパートリーになってくると思いますね。とくに岩井先生の編曲は、楽しいですね。
さて次は兼田先生ですが。
兼田 ぼくは中学校卒業したころかな。中学校でブラスをやっていて、大好きになったわけです。それで作品の第一号としてブラスを書いたのです。
自分でトランペットを吹いていたので人の書いたやつをやってもこんなにおもしろいんだから、自分で書けばもっとおもしろいんだろうと、単純に考えて書いた。バンドのためのワルツを。
それでぼくは音楽高等学校の作曲科に入った。しかし、ブラスの味が忘れられず、中学校のOBでバンドを作った。そこで時間があったものだから、そのバンドのための曲をずいぶん書いた。ということがしばらく続いて、芸大に入ったわけですが、芸大に入ってからはこんどはブラスなんかには見向きもしない。書くほうではね。だけど大学の四年くらいからバンドの指導をアルバイトの一つとして始めたわけですよ。
結局、卒業しても職がないから、それで生計をたてて(笑)いたわけだけど、曲は全然かかなかったですね。
書き出すきっかけは、やはりコンクールの課題曲を書いてからかな。

■マ—チは編曲しだい

山田 まあ、先生方の吹奏楽との出会いは良くわかりましたが、ここで話を本題に持っていきまして、最近は、オリジナル曲などの演奏も盛んになってきて、全般のレベルもかなり上ってきたと思うのですが、楽譜の手に入りやすい地域では、良い曲を選んで演奏できるけど、入手しにくい地域では、いまだに古い編曲の、メロディはユニゾン、リズムの変化のないようなマーチばかりやっているバンドが多いようなんですが。
岩井 ぼくは吹奏楽の生命の一つにマーチがあると思うんです。ただしそれから発展していって、何でもこなせるようなバンドにならなくちゃいけない。
たしかにマーチのオリジナルはりっぱであっても、国内で発売しているものの中には、やさしくするということで編曲し直しているものが多い。そのようなものには、非現代的なものがあるということは、たしかによくないですね。
斎藤 日本の軍楽隊の盛んなりしころにできた日本のマーチも、やはりその点、不備なものが多いようですし、やはりそろそろ新しい、良いマーチを作らなくてはならないですね。
岩井 もちろんそうです。それと、ぼくは、やっぱりポピュラーな曲で、やさしい良い編曲のものがもっとあっていいような気がする。
それから最近、テレビの主題歌とか、映画の主題歌などで、マーチがずいぶんありますが、これを吹奏楽用に編曲してやるのもいいと思いますがね。
兼田 ぼくはさっきの岩井さんの、吹奏楽の生命はマーチに真髄があるというお話ね、賛成なんだけど、少し抵抗もあるんだな。それはマーチに真髄があるとみんなが思い込んでいるもんで、かえってほかのことができにくかったんじゃないかなという気もするんですが。
岩井 そういう見方もありますね。
斎藤 ぼくはちょっと逆なんですね。最近、マーチを軽視しているんじゃないかと思いますね。
兼田 それは確かに、傾向としては、あんまりやらなくなりましたよね。それは、一つは反動というか、なにかそういうものがあるんじゃないかと思うんですよ。
岩井 そうなんですよね。マーチというとミリタリズムにつながるという観念があり、抵抗を感じるのかもしれない。
兼田 そこで岩井さんじゃないけれどポピュラーな曲ね、これをどんどんやると良い。また吹奏楽でやるとひじょうに豪華ですね。
ただ、いま、ほんとうにいいアレンジとかオリジナルがないから、そういう味を味わいきれていないというのが現状じゃないかな。

■現状に妥協した作曲、編曲

岩井 ジャズのフルバンドでやってもできない、吹奏楽で初めてやれるあの味は、やはり魅力があると思うんです。
ですからちょっと話は横道にそれるかもしれませんが、吹奏楽は、日本ではまだ野外の進出が不足していると思うのです。日比谷公園でやっている水躍コンサー卜みたいなものを、もっと方々の公園でやってもらいたいという気がする。吹奏楽の良さは、そういうところにあると思うし、吹奏楽の価値も上がるんじゃないかとも思うんですが。
斎藤 そういう時に効果が上る編曲も必要になってくるわけですね。ただオーケストラの、手っとり早くいえば、弦のパートをクラに移したようなそういう編曲じゃいけないと思いますね。
兼田 たしかにそうですね。
しかし、これは編曲の問題ばかりでなく、オリジナルの曲を書こうと思っても編成の問題がひっかかってくる。日本の吹奏楽は、やられる対象がアマチュアであるということで、これが、じゃまをしていると思うんですよ。編成がまちまちであるということ。外国のようにプロが多ければ、ある程度編成は安定しているといえるし、それだけによいオリジナルもできている。しかし、わが国では、その定形ができていない。だから吹奏楽は日本の作曲家にとっては、やはりわからないということになってしまう。
斎藤 たしかにその問題はありますね
兼田 それが音楽の主流になりきれないものの大きなポイントと思われますね。それと編成の問題でなく、技倆の問題も加わってくるわけです。ですから書く方でも、音量の計算とか、音色の計算がぜんぜんできない。
斎藤 実際、オーケストラなんかにはあり得ない心配ですからね。
兼田 そこで結局、一番少ない編成でやられても安全なように書くというか、書かされたというか、そういうことになってしまう。たとえばオーボエだとかファゴットの問題を除いても、常になにかが省かれる可能性があるみたいなことを考えてしまう。そこに、ソロを書けば省かれないまでも、ほかの楽器でやられるおそれがある。
これがオーケストラの世界であれば、どんなアマチュアのオーケストラだってオーボエがないからクラリネットでやるなんてことは、まず考えられないわけです。それが吹奏楽の世界では、平気でやられているわけで、これはやっぱり書く方にとっては身を切られるような思いですよ。
斎藤 現状ではちょっとしょうがないかもしれないな。
岩井 だから、ぼくら書くときは、やっぱりいけないんだろうけど、まず妥協精神からいっちゃうんです。これ書いたんじゃできないんじゃないかとか。ほんとはソロでやりたいところをいろいろな楽器を重ねちゃって、それからあってもなくてもいい楽器も加えちゃうわけです。
山田 あるバンドにとってはむだな動きをしているわけですね。
斎藤 ですから、最も効果的な書き方ができないわけです。
兼田 これはつらいですよ、やっぱり。
山田 先生方はお書きになるとき、どれくらいのレベルを考えてお書きになっていらっしゃるのかしら。
兼田 ぼくは、わりあいアマチュアを知っているつもりなんです。実際、自分で指導して苦労してきましたから、アマチュアの最低線もしっている。最高の線は、コンクールを毎年聴いているし、いろいろなバンドの人たちともよく顔を合わせているので、知っているつもりですけど、ぼくが問題にしたいのは、演奏技術のレベルもあるけど、音楽的レベルだと思うんだな。これはひじょうに低い団体が多い。その辺はまだ目をつぶるとしても、演奏技術だけの問題で言っても、ぼくはもちろん、曲にもよるけど、最高の線をいっているところのちょっと上のところを書きたいと思いますね。つまりその辺のところが、三ヵ月なり半年なりやってできるというとこ。
斎藤 それをやらないと、アマチュアの技術の向上はないですね。アマチュアにこびて適当なものを書いてたんじゃだめだと思いますね。
山田 斎藤先生は、アンサンブルの曲が多いと思いますが、アマチュアを対象とした場合は、どのレベルあたりを。
斎藤 一応、バンドのトップ・クラスが吹くという考え方でしょうね。
それとアンサンブルの場合は、大勢でやる場合と違って、少々むずかしいところがあっても、いっしょうけんめい練習すると思いますし、やはりちょっと程度を高めます。
それと、実際、作曲する場合は、アンサンブルのほうが、人数も決っているのでつくりやすいですね。楽器もはっきりしているし。
山田 先生なんかには、やはりどんどんアンサンブルの曲を書いていただきたいですね。
斎藤 技術的な面と、音楽的な面を向上させる意味でも、アンサンブルをやっぱり奨励したいですね。
山田 岩井先生は、ポピュラー曲の編曲を多くお願いしているわけですが、私どもがやっていただこうと思っても、著作権の問題でできない場合が随分あるのです。一冊が高くなってもよければ、どんどんできるわけなのですが。あまり高くなると買ってくれない。
岩井 学校では、楽器などを買う予算は大分あるらしいけど、楽譜に廻す予算は、ほとんどないといってもよいくらいということを聞きますが、残念ですね。良い楽譜で演奏しないと、少しも音楽的な面、技倆的な面が向上しない。
編曲なども、自分の団体に合ったものを編曲してもらうなりすれば、編成、技倆もわかるので、ひじょうに効果的なものができ上ると思うんですけれどね。

■オリジナルはなぜ生れない?

山田 合唱などでは、定期演奏会のたびに、一曲ずつ自分の団体のためのオリジナルを作曲家に依頼して、書き下してもらっている場合が多いけど、吹奏楽はまだそこまでいっていないようですね。これはどこに原因があるのでしょうか。
岩井 合唱の方は、結局、衣装しか費用が掛からない。
兼田 吹奏楽の書き屋は、書き代が高いからじゃないかな(笑)
まじめな話、吹奏楽の運営費がかかりすぎるからね。結局、楽譜は不満があるにしろ、手に入れることができるから、がまんしろということじゃないですか。
山田 中学や高校で、コンクール用の曲を委嘱している場合がありますね。
兼田 合唱の方は作曲者が多いのですよ。それに比して吹奏楽の方は少ない。
斎藤 それと吹奏楽の曲をつくるっていうことは、たいへんなことですよ。スコア見てもわかりますものね。
兼田 上から下までダーッと書いてもパーッと吹けば終りですからね。
斎藤 作曲家も、しり込みしちゃう。
岩井 やっぱりそういう労力が、一番こたえるんじゃないでしょうかね。
山田 オーケストラの作品はそれでいて多い。やっぱり吹奏楽は発表の場とは考えられないのですかね。
斎藤 やっぱり、楽器編成がはっきりしてないこと、現場を知らないことでとりつきにくいのじゃないかしら。
岩井 いっぺん吹奏楽のメシを食った人でなければ、わからないのですよ。
兼田 吹奏楽の響きをどういうものか知らないから不安もあるわけです。
山田 だけど数人の作曲家は、コンクールの審査員になったりして聞いているわけでしょう。
兼田 やはり、自分の作品に最高の効果を望んでいるわけですから、それがアマチュアではなかなか出してくれない。
山田 でも、去年のコンクールで、審査員の外山雄三先生が、福岡電波高校のチャイコフスキーの第四番の演奏をきいて、心から拍手されていたのを見て、作曲家の先生方に、吹奏楽を聞く場を多くしていきたいと思いましたね。
岩井 そうすればトップクラスの伯仲している技倆もわかるし、響きもおのずからわかってくると思いますね。たしかにその場がほしいですね。
兼田 吹奏楽の世界を音楽家に対してPRすることが足りないんだな。こんなのPRしなきゃならないというのは、情けないけどね。よく知ってもらえば、書く人もふえてくると思うけど。
岩井 それと日本には、本当の意味のプロ・バンドがないということね。プロバンドでもあれば、やはりその団体のために書いてやろうという意欲もでてくる。なんか、根本的に、日本は変則的なのじゃないかしら。
兼田 たしかにそういえますね。
岩井 だからといって、高度の作品ばかり要求してはだめでそういう人はそういう人で必要であるし、底辺を拡げる意味で、中級程度をねらっての作品も貴重だと思いますね。
山田 ぼくはそれが、いまのところ大事だと思うんです。
岩井 それでぼくは、みんなが知っている曲というものを手がけているわけです。ですけど、これからは、やっぱり吹奏楽でなければできないような、そういうポピュラーな曲を作っていくべきだと思いますが、ただそれはひじょうに発表手段が少ないわけです。
斎藤 それについては、演奏団体にも責任がありますね。名前を知っている曲じゃないと取り上げないとか。
岩井 それはひじょうにありますね。

■ポピュラーを理解できない指導者

山田 話は変りますけど、兼田先生も最近、小編成バンド用の編曲を数多くなさっているのですが、話にきくところによれば、生徒はあのスインギーなリズムにすぐなれるが、指導者の方がなかなか理解できないということをいわれていますが、どうなんでしょう。
兼田 これは指導者の問題でしょう。これはひじょうにむずかしい問題だと思うんです。というのは、ポピュラーな曲に対する、例えば、かりに現在はやっているような曲を学校のクラブとして取り上げるということに、ひじょうに抵抗を感じる人がまだまだ多いわけですよ。文部省的に。つまり教育上おもしろくないというような古い形の……。そういう人たちにとっては、他の先生方、あるいは校長先生に対する思惑とか、音楽室のわきを通ったら、ゴーゴーをやってたなんていうと、考えちゃうわけですよ。
それが一つと、それから、そういうものに全然、共鳴しないということですね。自分のゼネレーションの問題かもわからないけど。それだから、生徒との間に、相当ギャップがある。
岩井 それを何とかしていかなきゃだめですね。
兼田 それを何とかする方法として、たとえば生徒だけで運営しているところは、わりあいスムーズにいっているわけですよ。それから指導する先生方も、音楽の先生と一般教科の先生がいるわけですよ。実際、相当一般教科の先生が指導している場合が多い。
山田 中学校にも見られるけど、高校では多いようですね。
兼田 これにも少し問題があるわけですよ。その先生方の功績はみとめるけどその学校の音楽の先生は、いったいなにをしているかと疑問がありますね。
斎藤 そういう先生方は、クラシックのオーケストラものの編曲というと、喜んで取り上げるわけですか。
兼田 喜んでというより、抵抗がないということですよ。
岩井 そういう人が棒を振ると、楽しい曲でも、四角四面に振っている。演奏者と観客はリラックスしているのに。
斎藤 アメリカなんかの演奏会では、クラシックなもの、オリジナルのものを指揮をするときと、その後で肩をほぐすためのポピュラーな曲をやるときは、指揮者の態度がぜんぜん違う。本当に楽しんで指揮している。
また、向うで感じたのだけれど、日本人はむずかしいオリジナルと、やさしい編曲物と二つの傾向しか演奏会のプログラムにはないけれど、アメリカでは、実験的なオリジナル曲もたしかに多くとりあげられているけど、ポピュラーのものに下がる前に、民謡を使った中間的なオリジナル作品が多い。そういう作品もどんどんつくられて、それが出版されている。
岩井 少ないのはたしかですね。
斎藤 上下でまん中がない。たとえばオーケストラの演奏会でもサマー・コンサー卜なんていえば、ウィンナ・ワルツなんてやりますよね。ところがそういうものに匹敵する吹奏楽の曲というと、マーチだけですかね。
岩井 ポルカが少しあるくらいでしょうね。でもあまりやられない。
斎藤 私たちの責任かもしれないが、楽しい曲をどんどん作って、出版してほしいですね。
岩井 絶対にそういうものがなけりゃ中間に位置するバンドのレパートリーもふえないし、必要ですね。
斎藤 それから、クラシックの世界のように、これがスタンダード・ナンバーで、これをやりさえすれば、人が集まるという名曲もない。
兼田 歴史が残いから、しょうがないんじゃないかな。浅いというより薄いのかな。軍楽隊から起ってきたので、マーチ主体ということかしらね。でも最近、演奏会用マーチというのがボチボチ出始めた。
斎藤 軽い序曲風のものは、少し歴史がありますね。こういうものをどんどん出版してもらいたいですね。
山田 作っていただくのはわけないのだけれど、採算ベースにはのらないんですよ。
兼田 やはり貧しいんだな。
斎藤 楽器に全部、費用をとられちゃう。
兼田 楽器に費用をとられちゃうのはいい方で、ひどいとこではリードだとかそういう方に取られちゃう。
絶対に貧しいと思いますね。しかし、楽譜の問題は不思議だと思うんだけど、合唱の場合は一人に一冊ずつ用意する。それで自費でけっこう買っている。吹奏楽の場合も、メンバーの割勘で買えば安いもんだと思うんだけど、これが割り勘というのは、きいたことがない。そうすれば少し売れるようになる。それでも合唱のように部数が出ないからだめかな。
山田 やはり部数が出ないと、出版というものはやりにくいですね。
兼田 ポピュラーの曲を出してうんともうけてもらって、オリジナルな曲は赤字覚悟で、両方で収支トントンとするのなんかはどうですかね。
山田 名前が売れていないオリジナル曲なんかは、良い曲でもなかなか売れない。赤字が大きすぎるわけですよ。
兼田 楽譜を選ぶ指導者が、楽譜がわからない人が多いんじゃないかな。

■吹奏楽に望むこと

山田 まあ、出版は努力していきたいと思います。先生方に、今後、日本の吹奏楽界に希望することなどをお話しいただきたいと思いますが。
兼田 ぼくはもっと音楽のほかの分野の勉強をしてもらいたいと思いますね。コーラスでもオーケストラでも、なんでもいい。吹奏楽以外の演奏会に行くなりして、音楽の勉強をしてほしい。指導者だけでなく生徒も。それもかたいものばかりでなく、柔らかいものも。
斎藤 たしかに音楽を知らないですね
兼田 それと譜面を読めるようにしてほしいと思うな。これで最初の方に出た悪い作品とか悪い編曲のものを追い出す力も生れてくるし、むだな費用をそこでついやすこともなくなってくる。
岩井 同じ曲で二通りのアレンジがあれば、普通は吹奏楽の譜面を多く出している出版社のものを買っちゃっている。それではだめで、やはり良い編曲のものを、自分の目でたしかめてから買わなければだめですね。
兼田 しかし、外国の譜面を、とくに新譜を取り寄せるときは、たしかに困るな。見るわけにはいかないから。
山田 コンデンス・スコアの縮刷版を送ってくるでしょう。あれで判断する。
兼田 それでも全出版物じゃないからね。
山田 岩井先生、先生の希望としてはどうですか。
岩井 やはりぼくも、指導者に広く音楽を知ってもらい、底辺というか、吹奏楽ファンを広げる努力をしてもらいたいですね。そのためには、さっき兼田さんがいわれたように、かたいものも、柔かいものも、なんでもきき、そのサウンドなり、リズムなりをしっかり身につけてもらいたいと思いますね。小さな殻の中に閉じこもっていないで、広く目を開く。
山田 斎藤先生は?
斎藤 文学なんかの世界でも、たしかに大衆文学と純文学とに分けられている。しかし、だれか言ってましたけど、ほんとうの分け方は、いい文学と悪い文学しかないんだということです。音楽の場合でもそうだと思いますが、ジャズとクラシックは別物だと思っている人が多い。
岩井 たしかにそういう傾向は強い。
斎藤 ポピュラーだって悪い音楽もあるでしょうし、いい音楽も多い。クラシックだって同じことがいえる。
岩井 最近のいい傾向として、モダンジャズ・ファンが、クラシック・ファンの中でも多くなっているし、モダン・ジャズ・プレーヤーがバロックなどをさかんに研究して、その手法をどんどんとり入れている。実にうまく融合している。
斎藤 吹奏楽の人たちには、あまりモダン・ジャズをきいているという人はいないようだし、それだけ、一歩おくれているといえるんじゃないでしょうか。
岩井 聴いてないんでしょうね。そういうアレンジもきいたことがない。
兼田 ぼくはあえて言うと、アメリカのオリジナルというか、アメリカの出版社で出しているようなものに、ちょっと毒されすぎているような気がする。
斎藤 それはまだ、やっぱり舶来の…
兼田 それは一つには、日本にはないからなんですよ。ですから、一概にせめるわけにはいかないんだけど、確かにアメリカには数多くの作品があるし、そういう意味からいけば、先進国のわけで、ある程度はそれに従わなければならないとしても、演奏する際には、作品をもっと選んでほしいと思うな。
ただ、ここでもやっぱり、金の問題もかかってくるんだ。たとえば三千円で買った楽譜だから、つまんなくてもやらなければもったいないと。
斎藤 ちょっとみみっちいですね。
兼田 みみっちいけど仕方がない。だから、やはり日本の作曲家にがんばってもらって、オリジナルの曲をどんどん作ってもらう。出版されなくても、手書きのものを演奏団体に渡して演奏してもらう。それで発表されて好評であれば、他の団体もやりたいと思う。最初は写譜でふやしていけばいい。多くやられるようになれば出版社が目をつける。団体からも早く出版してくれと働きかける。そういう風にしていけば、割に可能性が出てくると思うんだけど。
だから僕らも、労をおしまず、金にならないと思っても、書かなくてはならない。いや書くべきだと思うんですけど。
斎藤 そうですね。アメリカの出版されている楽譜を見ても、どこでどのバンドに委嘱されて書いたというのが、ひじょうに多い。それを出版社が買いにきて出版しているケース。日本には、まだなかなか見られないでしょうが、ぜひそうなってほしい。そうすれば楽譜もおのずから増えてくると思いますね。
岩井 それは絶対必要ですね。だからさっきいったように、学校なり団体が、もう少し曲に対する金を使うべきだと……
兼田 学校が、ということになると、これはひじょうにむずかしい。結局、これは地域社会の問題だと思うんですよ。バンドに対する理解の問題、それをまわりに理解させるためには、どうしたらいいか。バンドっていうものは、こんなに楽しいものかと思わせなければならない。
だから地域社会に働きかけることと、働きかけた結果、そこからお金が出るようになった。そうしたら今度はオリジナルもたのもうじゃないかと、こういうふうな循環になってくるわけです。それをやらないと、やっぱりどうにもこうにも、尻つぼみになってしまう。
斎藤 ですから、その吹奏楽団の発表会をやるときに、新しい作曲を委嘱しないと、はばがきかないということになる。
兼田 そうなると、作品がふえてくるね。しかし、駄作も多いかもしれないが年に一、二曲は、いい曲が生れる。それを出版社が取り上げる。赤字覚悟で。
斎藤 そういう作品ならだいじょうぶなのじゃないですか。
兼田 やはり、もうからないですよ。
この間、石井(歓)先生が書いた「大いなる秋田」、ああいうふうに特別、県なり、とにかく大きなところが、何かの行事の一環としてやるようなときしか、そういう金が出ないけど、こういうものをもっとふやしてもらう。あのような大曲でなくても、小曲でもいい。どんどん機会を使ってもらいたいですね。
岩井 吹奏楽が重んじられないから、曲の委嘱も少ないということは?
兼田 それはいままではあったけど、野外で演奏できるのは吹奏楽だけだから
岩井 スポーツにしても、吹奏楽の利用度が少ないですね。アメリカのフットボールなんかの前座、休憩時間のドリルや演奏はすばらしいものですからね。パレードにしたってそうですね。
兼田 少しずつ盛んにはなってきましたけれどね。
それから最後にちょっといいたいのだけれど、吹奏楽の楽譜を、年間、一点なり二点出している出版社に団結してもらって、出版されたものを発表してもらいたいと思うな、演奏で。そうすれば、譜面の弱い人にもわかってもらえるし。要するに新刊発表演奏会ですよ。金をとってもいいですよ。そこで展示即売もやる。そこで聴いて帰った人があの曲は良かったという口こみをしてくれる。これは貴重だと思うな。
斎藤 アメリカでは、ずいぶんやられているようですね。
兼田 ええ、シカゴですね。ぼくは出版社の吹奏楽の世界に対する働きかけがまだ少ないのじゃないかと思いますね。友社あたりで音頭をとって、ぜひやってもらいたいと思いますね。
山田 いろいろとよいご意見をいただきありがとうございました。
〔完〕

sight-and-art.org

動画について

①ブルー・インパルス ②オーバー・ザ・ギャラクシー ③オンリー・ワン・アース ④輝く銀嶺 ⑤東京物語(吹奏楽アレンジ) ⑥彼岸花(吹奏楽アレンジ) ⑦秋刀魚の味(吹奏楽アレンジ)

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