「昭和の名監督」ゆかりの地…1993年(平成5年)産経新聞記事より


「東京物語」以後、小津映画の音楽を七本担当した斎藤高順(たかのぶ)さん(六九)も、小津監督と同じ江東区出身。
現在は世田谷区下馬に住む斎藤さんは「私は東陽小学校でしたけど、同じ江東区出身というのは偶然でした。小津さんはうんと明るい音楽が好きでね。私の曲を気に入ってくれたのも、同じ下町ということで好みが一致したのかもしれません」と話す。
小津映画の撮影を担当したカメラマンの故厚田雄春さんも浅草橋出身。「厚田さんにも親切にしていただいた。三人とも下町なのに、小津さんは私に『斎藤くんは、やっぱりいきなところがあるね』なんておっしゃったりして。皆亡くなってしまってね…」と振り返る。
「江東区に小津記念館を作りたい」という夢を斎藤さんに伝えたら、「いいね」と、「東京物語」や「早春」などの直筆の楽譜を見せてくれた。
「小津さんが『映画で使った曲は大事にとっておけよ。あとで役にたつよ』と言っていたので、テーマ曲だけ楽譜を残しておいた。その通りになりました」
世界の映画のベストテンで三位に記録された「東京物語」のテーマ音楽の原本だ。小津監督がなくなる年に初めて書き下ろしたテレビドラマの台本もある。

貴重なフィルムを次代へ…「記念館」の計画も

「もし江東区に小津記念館ができるなら、資料を提供します。生まれた所ですから思返しをしたい」という話まで飛び出した。
斎藤さんは、小津監督が毎年、誕生日に神田のとり料理屋でスタッフや俳優を呼びごちそうしてくれたこと、大みそかの飲み会のことなどが印象深いという。
「大みそかは千住のうなぎ屋さんに行って、浅草の観音様へお参り。二日からは北鎌倉の小津さんのお宅でまたお酒。私は小津さんにお酒を教えられたようなものです」と笑う。
今年は特別に北鎌倉で開かれるが、今でも神田の店では「偲ぶ会」を続けているという。小津組の個性的な面々が毎年通った浅草観音は、今も変わらない。
こんな小津監督の思いはまだまだ残っているはず。映画が残る限り、深川の町や、深川で生まれ育った小津安二郎をはじめ下町に生きた人間たちも生き続けるということだろう。
芦谷さんが、小津安二郎記念館を作る計画を職員提案に出したのは、こんな小津映画の遺産が時間とともに消えていくことを心配したからだという。
「パリに行ったら博物館に小津映画のフィルムが保存されていた。日本ではこういう形で保存されていない。貴重な記録が散逸してしまわないうちに形に残していければと思ったんですよ」と芦谷さん。芭蕉が深川に暮らしたことを知っていても、小津監督が深川出身だと知らない人が多いことも残念だという。
世界で評価される「東京物語」の元のネガが残っていないのも事実。小津作品のうち十八本は映画そのものが失われてしまっている。今年は生誕九十年ということで、小津作品の一挙上映や小津安二郎展などさまざまな企画が行われているが、今こそ慎重な計画で、小津映画の記録を残す必要があるのかもしれない。
高橋さんは講演で何度も繰り返し訴えていた。「小津さんの思い出を関係者から取材した貴重なテープを記念館ができれば寄付します。小津さんはいつもこの辺りをロケハンしていました。深川が頑張って記念館を作ってください。今は評価がちょっと低いけれど、芭蕉の次は小津だという時代が必ずきます」

動画について

①ブルー・インパルス ②オーバー・ザ・ギャラクシー ③オンリー・ワン・アース ④輝く銀嶺 ⑤東京物語(吹奏楽アレンジ) ⑥彼岸花(吹奏楽アレンジ) ⑦秋刀魚の味(吹奏楽アレンジ)

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