小津作品の映画音楽をLPに…1964年(昭和39年)読売新聞記事より


昨年暮れになくなった小津安二郎監督の「東京物語」から遺作となった「秋刀魚の味」までの十年間の作品の映画音楽がクラウン・レコードでLPとして製作されることになった。昨年誕生したクラウン・レコードは、そのはじめてのLP製作に当たって、意義のあるものをと考えていたが、日本映画史上に不滅の足跡を残した小津監督の業績をレコードによって後世に残そうとしてこの企画を立てたのである。

「東京物語」から「秋刀魚の味」まで七つの作品から14曲|【クラウン】故人の業績しのぶ

「小津さんの作品は、いつも日本の伝統美というものを深く追究していた。あのようにひとすじに日本的な美しさを追究するような監督はもう出てこないのではないか。そういう意味で、小津さんをいつもしのべるように、その作品の音楽をレコードにして残すということは、われわれレコード製作者がどうしてもやらなければならないことだ」と製作担当の馬淵、牛尾両ディレクターは言う。
このため、昭和二十八年の「東京物語」から遺作となった「秋刀魚の味」まで七作品の映画音楽を担当した斎藤高順氏と相談し、七つの作品から十四曲を選んでLPを製作することになった。
このLPにおさめられるのは「東京物語」の主題曲、夜想曲。「早春」の主題曲。「早春」「東京暮色」「彼岸花」のサセレシア。「彼岸花」の主題曲。「浮草」の主題曲、ポルカ。「秋日和」の主題曲、ポルカ、オルゴール風の曲。「浮草」「秋日和」の祭りばやし。「秋刀魚の味」の主題曲、ポルカ、終曲で、この十四曲について斎藤氏は次のように語っている。
「“早春”のとき、下宿屋の二階で病気でねている青年を友人がたずねてきてなぐさめるシーンがあった。深刻な話なので、私はそのような音楽を書こうと思っていたところ、小津さんは“サセ・パリ”か“バレンシア”のような音楽をそのシーンに書いてくれという。完成された映画のそのシーンをみたら、かえってこの軽快な曲が画面にぴったりして病人のあわれさをうきぼりにした。
小津さんはこの曲をたいへん気に入られて“サセレシア”と名をつけ、“東京暮色”のときはテーマ音楽として全編に流され、“彼岸花”でもこの“サセレシア”を使い、“秋刀魚の味”でもまたこれでいこうといわれた。しかし、私はあんまり毎度同じ曲を使うのは気がひけたので、“先生こんどは新しい曲を作ります”というと“サセレシア”よりいい曲じゃないと使わんぞ”といわれた。このときの新曲“秋刀魚の味のポルカ”が幸い小津さんも気にいられて、“ぼくが作詞して寿美花代にでも歌わせるか”といっておられたがついに作詞されないうちになくなられてしまった。
このように小津さんは映画音楽の中で気にいられた曲があると、何回もいろんな映画で使った。それに、映画音楽には独自の考えをもっておられ、ダビングの一週間前に、オーケストラをよんで、フィルムをかけずに音楽だけのリハーサルをして、最後の結論を出されたので、作曲家としても自分のなっとくいくものが書けた。
小津さんはポルカ風の軽快な曲が好きで、難解で、深刻な悲しい音楽はきらいだった。スコットランド民謡やフォスターの歌が好きで口ずさんでいたし、“ぼくの映画は通俗だ、しかし低俗ではない。だから映画音楽も通俗でいい、しかし低俗はいかん”というのが口ぐせだった」
クラウンでは、このLPを発売するときは笠智衆、佐田啓二、原節子ら小津作品に関係深い人たちの小津さんの思い出を語る言葉をシートにいれて、付録につけるつもりだという。

動画について

①ブルー・インパルス ②オーバー・ザ・ギャラクシー ③オンリー・ワン・アース ④輝く銀嶺 ⑤東京物語(吹奏楽アレンジ) ⑥彼岸花(吹奏楽アレンジ) ⑦秋刀魚の味(吹奏楽アレンジ)

Translate

category

ページ上部へ戻る
Translate »