海外珍道中あれこれ
『むかしの仲間』 第14号 1993年秋 斎藤高順
アメリカとヨーロッパ及び香港に、それぞれ数日づつ旅行した時の想い出話などを記して見たいと思う。今から26年程前になるが、昭和43年の7月中旬、アメリカ吹奏楽の視察旅行のグループに誘われて、2週間と少々アメリカ各地を一周した。まずシカゴに到着し、それからニューヨーク、ロチェスター、デトロイト、ロスアンジェルス、その他を経て、ハワイのホノルルを最後に帰国という強行スケジュールだった。
その頃は、1ドルが360円で、現在の3倍半以上も費用が嵩んだ。ニューヨークでは、セントラル公園でのゴールドマン・バンドの名演奏を聴き、指揮者のゴールドマン氏に自作の行進曲『輝く栄冠』を差し上げたところ、帰国後その曲を演奏したプログラムを数部送って貰った時は感激した。またミシガン大学のウインド・オーケストラでは、自作のマーチを自分で指揮させて貰ったことも忘れられない。
しかし団体での行動は何とかなったが、自由行動の時は何しろ言葉が全く駄目で何度も失敗した。そのトップは、ニューヨークで高級レストランに入った時、ボーイが持参したメニューがチンプンカンプンで、日本でお馴染みのものは見当たらず、中にあったベジタブル云々が野菜の料理らしいので、それを注文したところ35センチ程のガラスの器に色とりどりの野菜が盛られていて、その器よりひとまわり大きな氷を水に浮かせた別の器に、その野菜の入った器が浮かべてあるので、ナイフとフォークを使ってもプカブカ動いてどうしても食べられない。困っていたら、先程のボーイが来て、見るに見かねて野菜の器を取り上げ、テーブルに置いてくれたので、ようやく食べることが出来た。次はロスアンジェルスで、どうしてもお米のご飯が恋しくなり、やっと見つけた中華料理店でチャーハンを頼んだところ、大皿に盛られた焼飯は、どう見ても5人前位の大盛りで、どうにも食べ切れず、これも大失敗だった。
今度は、航空音楽隊に勤めて2年程経った昭和49年の11月半ばに、陸上・海上と航空の3音楽隊長が、スイスで行なわれた国際軍楽祭を見学するために渡欧した時の話である。まずパリのドゴール空港に着いてから、パリ在住の画家の友人が出迎えてくれた。そして、市内の美術館などを案内して貰った上、夜はムーランルージュに同行してくれた。その時は高いワインを出されそうになったのを、うまく断わってくれたりした。
その翌日は、世界一の吹奏楽団ギャルドレププリケーヌを訪ね、見事な演奏を聴かせて貰ったので、指揮者で作曲家のロジェ・ブートリー氏に拙作の交響詩『オンリーワンアース』(かけがえのない地球)のスコアを差し上げた。後に、その楽団のレパートリーに加えられ、楽団と共に来日された時にも、そのコンサートのプログラムに入れて頂き、演奏会には家内と共に招待された。
ウィーンでは、国立歌劇場で『ラ・ボエーム』を見聞きし、実に素晴らしく感動した。それからドイツのミュンヘンで飲んだ、本場の生ビールの味は今でも忘れられない。ベルギーのブリュッセルに行った時、その街並みの美しさは、まるで展覧会の様で、家々のまわりが見事な彫刻で飾られ、あの有名な小便小僧の本物も見た。レストランでは、自慢のムール貝を注文したところ、かなり大皿に盛られたムール貝が出され、それをやっと食べ終えたところへ、直ぐに同じ大盛りのお代わりが出され驚いた。もう腹が一杯で全然食べられなかったが、2皿が一人前ということであった。
本命の国際軍楽祭はスイスのベルンで行なわれた。何よりの収穫は、参加したどの国の軍楽隊も、選ばれて来たので立派な演奏をしていたが、日本の各音楽隊もそれに比べて劣るどころか、むしろ優れている事の方が多いことを実感し、結局それが何よりの大収穫であると思った。帰国の途中寄ったオランダの空港で、陶器で出来たミニのオランダ木靴のライターが気に入り、お土産用に1ダース程買ったのであるが、帰国して家で開けて見たら、そのライターにメイド・イン・ジャパンと記されているのに驚いた。結局そのライターは、誰にもあげられず仕方がないので、全部家に飾った次第で、これも大失敗の一つであった。