「生きてはみたけれど 小津安二郎伝」サイレント映像のBGM
「生きてはみたけれど 小津安二郎伝」が公開されたのは1983年(昭和58年)でした。小津安二郎監督没後20周年(生誕80周年)の作品です。
6/23(土)に小津映画音楽朗読コンサートを開催するに際し、久しぶりに「生きてはみたけれど 小津安二郎伝」を観かえしてみました。すると、以前は気付きませんでしたが、この作品の中でサイレント「落第はしたけれど」「東京の合唱」「出来ごころ」の3作品の一部に父高順がBGMを付けていました。
「東京物語」から「秋刀魚の味」まで、小津映画音楽を担当し小津調サウンドを確立した父が、もしもサイレント作品に音楽を付けていたらどうなっていたのかを考えるうえで、大変興味深い映像と言えるでしょう。父自身も、そのような仮説の元に実験的な試みでこれらの曲を書いたのではないでしょうか。
サイレントのBGMはごく僅かしか収録されていませんが、音楽が映像に与える効果がいかに大きいかを再認識できるようです。それほど音楽が絶妙で、思わずウルっときそうになるような効果を生み出しています。
小津監督はサイレントの頃、楽士や弁士の力量如何によって映像が全く別なものになってしまうことをよくご存じだったのではないでしょうか。トーキー移行後は、敢えて音楽が意味を持ったり、映像に影響を与えすぎるような使い方を決して望まなかったそうです。
役者に対しても、笠智衆に「能のお面で行ってくれ」と言ったといいますが、大袈裟な演技をされては困るということだったのでしょう。森繁久彌のアドリブは一切認めなかったそうですが、役者の力量如何で映像に影響が出てしまっては、小津監督の演出が及ばなくなり作品のバランスが崩れてしまうためだったと考えられます。
しかし、今後サイレント作品は全く別な楽しみ方が確立される可能性があります。例えば、サイレント作品は音楽が変ると全く別の作品に観えてしまいます。つまり、音楽は多少大袈裟であったも、感情に訴えるような曲が映像に対して絶妙な効果を与え、サイレント作品の魅力を高めてくれるということなのです。現に、色々な音楽家がサイレントに生演奏を加えたイベントを開催し、好評を博しています。音楽の力によって、サイレント作品が全く新しいコンテンツとして甦る可能性があるということです。