映画のあな

北鎌倉の浄智寺わきで、奇妙なものを見かけました。竹を編み込んで作ったトンネル?、穴?のような実に不思議な形状の建造物です。どうやら中に人が入っており、映像を映しているようですが、外からは何が行われているのかちょっと想像が付きません。入口付近にチラシが置いてあったので、手に取って見てみると、それは“モバイル竹シアター”「OZU-ANA」という代物であることが分かりました。

なんでも、この“モバイル竹シアター”「OZU-ANA」は、あの有名な建築家の隈研吾氏が考案したもので、東京大学隈研吾研究室の学生さんとNPO法人湘南遊映坐の協力により、浄智寺の境内にある竹を伐採して、3週間かけて作り上げた苦心作だそうです。

しかし、「OZU-ANA」という名前が付けられているということは、旧小津安二郎邸へと続くトンネルを意識しているに違いありません。チラシに隈研吾氏の説明文が載っていたので、以下にご紹介します。

北鎌倉の山に掘られた小さなトンネル(孔)を抜けないと、小津安二郎の住まいにはたどりつけなかった。
小津は孔だと、思いついた。
低いアングルのカメラから、フスマとカモイで作られたフレーム(孔)ごしに、小津の空間をながめた。
竹を割き、織りあげて、僕らも孔を作った。
モバイルシアターとも呼ばれるこの孔を通じて、別の世界にはいっていくことを試みた。 隈研吾

トンネルについて、LPレコード「小津安二郎の世界」(日本ビクター)の中に、次のような写真と紹介文が掲載されていました。

北鎌倉、浄智寺わきのだらだら坂をのぼると、ほどなく左に、小津山荘へ抜けるトンネルが見えてくる。
小津山荘全景。小津芸術の謎をとく鍵がここにはいっぱいある。その庭の一木一草にも小津さんの行きとどいた神経が感じられる。


このトンネルは、尾藤谷に居を構える友野家一族が、明治時代に手作業で掘ったものだそうです。トンネルを抜けて山の反対側へ出ると、旧小津監督宅を含む3件の邸宅があります。小津監督が亡くなったあと、旧邸には日本画家の小倉遊亀氏がしばらく住んでいましたが、現在の所有者は友野家とのことです。

かつては、何度もホロ酔い気分で通ったに違いないトンネルでしたが、病状が悪化した小津監督にとって、昭和38年10月12日、担架に乗せられたまま通ったのが最後となりました。

sight-and-art.org

動画について

①ブルー・インパルス ②オーバー・ザ・ギャラクシー ③オンリー・ワン・アース ④輝く銀嶺 ⑤東京物語(吹奏楽アレンジ) ⑥彼岸花(吹奏楽アレンジ) ⑦秋刀魚の味(吹奏楽アレンジ)

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