「早春」のテーマとドローンの映像
斎藤ファミリーの三男、斎藤順(コントラバス奏者)が、Youtubeに「早春」の主題曲の演奏動画をアップしました。演奏動画といっても本人は登場せず、コントラバスの演奏とドローン撮影による山中湖周辺の美しい風景がメインの動画です。富士山の風景など、多少松竹を意識したのかは分かりませんが、ドローンによる映像は幻想的で、目を見張るほどの優美さです。
昨今、将来の年金不足が話題になっていますが、年金問題は定年制や退職金など、日本の労働環境全体を含めて議論すべき課題ではないでしょうか。そもそも前提条件が、会社員や公務員として長年勤め上げた男性が定年退職を迎え、ある程度の退職金を支給された上に、現役時代の半分ほどの年金を受け取ることができる…というものですから、この時点ですでに公平な視点が欠けています。
日本に国民年金が導入されたのは1959年です。1994年の法改正で60歳未満の定年制が禁止されるまで、長い間日本の標準的な定年は55歳でした。一方、男性の平均寿命は1950年には58歳だったものが、現在では80歳を超えています。1950年当時の男性は55歳で定年を迎え、退職金を貰ってから3年くらいしか余命がないので、年金問題はほぼ存在しなかったということでしょう。それが、少子高齢化、低成長時代、非正規雇用の拡大などにより、定年後の生活維持は極めて厳しい時代を迎えたのです。
1956年公開の「早春」に、定年や退職金の話題が出てきます。当時49歳だった東野英治郎が、引退間近の初老サラリーマン役を演じ、勤め人の侘しさをしみじみと語ります。小津作品には、このようなシーンが度々登場し、だいたい東野英治郎が初老役の味わい深い演技を見せてくれます。
「早春」の中には、サラリーマン生活の不条理や侘しさを語る印象的なシーンが二箇所あるので、登場人物のセリフを抜粋して以下にご紹介します。どちらも、山村聰がオーナーを務める「ブルー・マウンテン」が舞台です。小野寺が笠智衆、河合は山村聰、杉山を池部良が演じました。
小野寺「どうだい、店の方」
河 合「まあまあだ。うちは昼間の客が多いんだよ。まあ誰にも縛られないだけ、暢気さ」
小野寺「そりャいいね。羨しいな」
河 合「毎朝、決った時間に出かけなくていいだけ助かるよ。電車で揉みくちゃにされるのはかなわないからな」
杉 山「混みますねえ、僕の方なんか殺人的ですよ」
小野寺「仕様がないさ、それもサラリーマンの宿命の一つさ」
河 合「いやなら早く重役にでもなって会社の車で通うんだな」
小野寺「でも、お前はよかったよ、早く見切りつけて」
河 合「そうでもないさ」
小野寺「いやァ、おれもこの頃こんな生活がバ力にいやになる事があるんだけど、いざとなると仲々フンギリがつかないもんだ、子供も段々大きくなるしね。君なんかも今のうちだぜ、やめるんなら」
杉 山「いやだなァ、僕はやめませんよ」
小野寺「そうかい」
河 合「そうだよ。未だ未だ夢はあるしね。今が華だよ」
小野寺「いやあ、誰にも縛られない生活はいいよ」
河 合「そりゃ、何やってみたっておんなじさ、俺だってサラリーマンさ。人生からサラリー貰ってる様なもんだよ。」
河 合「そう、いやァどっちにしたって、今の世の中そう面白いこたあないよ」
小野寺「うーむ」
河 合「誰にだって不満はあるさ」
小野寺「そう思って、ノンビリ暮すか」
河 合「そうだよ。それより手はないよ」
小野寺「うーむ。まあ、そんなとこかなァ」
もう一箇所のシーンは、映画の終わりの方に出てきます。服部役の東野英治郎が、枯れた味わいのサラリーマン役を演じます。以下にセリフの一部と、山村聰、東野英治郎による含蓄深い会話の動画をアップしました。初老期を迎えた男の孤独、侘しさが見事に描かれた名シーンです。
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河 合「しかし、服部さんはなかなか勤勉だな」
服 部「いやァ、勤勉かどうか、わたしも来年でいよいよ停年でさあ」
河 合「そうですか、何年位お勤めだったんです」
服 部「ちょうど31年になりますわ、くたびれましたよ」
河 合「じゃ、退職金も相当ありますな」
服 部「イヤ、それがね、わたしは、昔っから、停年になったら、どっか小学校の近所で文房具屋でもやって、子供相手にのんびり暮らしたいと思ってたんだが、中々そんなにはよこしませんや、税金も引かれますしなあ、まア、我々サラリーマンの行末は、退職金を前にして寂しがるのが関の山でさあ、31年務めて、考えてみりゃ儚いもんだ」
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河 合「全く、あんたの仰る様に儚いもんだ」