『東京暮色』の劇中音楽

『東京暮色』のスタッフ

後列:山本浩三(助監督) 青松明(照明) 斎藤高順(音楽) 西田俊造(スチール) 浜田辰雄(美術) 山内静夫(製作) 田代幸蔵(助監督)前列:浜村義康(編集) 林竜次(現像) 厚田雄春(撮影) 有馬稲子 小津安二郎 笠智衆 妹尾芳三郎(録音) 清水冨二(進行)

『東京暮色』の劇中音楽といえば、当然「サセレシア」ということになりますが、父は『東京暮色』の音楽に関して、いつ頃、どうして記憶が上書きされてしまったのか分かりませんが、大きな記憶の間違いを犯しています。

父は『東京暮色』の音楽について、「月刊ぺんだこ」のインタビューと「むかしの仲間」への寄稿文では、次の様に述べていました。

斎藤 …(中略)…「早春」の時に「サセレシア」を一曲創った為に以後はあれ式の音楽になっちゃったわけです。「東京暮色」では「サセレシア」だけでいいからねという注文で、僕は楽でした。
落合 それでも創作料はいただけるんですか?
斎藤 そりゃそうですよ、僕の作品ですから。
「月刊ぺんだこ」(1985年2月号)《小津安二郎さんの映像と私の音楽 斎藤高順》より

「…(中略)…三作目の《東京暮色》では全篇音楽は〈サセレシア〉一つでやろうと小津監督に云われ、タイトル・バックからあらゆるシーンのバックに〈サセレシア〉を使い、お蔭で一曲も新しく作曲しないで映画が出来上がってしまいました。」
「むかしの仲間 NO.7」(1990.4.15)《私と映画音楽》より

上記によると、『東京暮色』の音楽は「サセレシア」しか使わなかったことになっていますが、実際には色々な音楽が登場します。例えば、小料理屋「小松」、バー「ガーベラ」、深夜喫茶「エトアール」、中華そば「珍々軒」などのシーンでは、店内に流れているという設定で奇妙な音楽が聞こえてきます。また、他の小津作品同様、場面転換では短いブリッジ音楽も使われました。

「サセレシア」は劇中に4回登場します。1回目は、麻雀屋「寿荘」で有馬稲子と店に戻ってきた山田五十鈴が初めて会話するシーン。2回目は、「寿荘」へやってきた有馬稲子が山田五十鈴を外へ呼び出し、おでん屋「お多福」の奥の部屋で自分の出生について問い質すシーン。3回目は、「寿荘」に訪れた原節子から有馬稲子の死を聞かされた山田五十鈴が、「お多福」へ移動して酒を呑むシーン。最後は、一人きりになった笠智衆が、何事もなかったかのように朝出勤していくシーンで、スローテンポにアレンジした「サセレシア」が流れて映画は終わります。

今回、特に音楽を意識して観直してみましたが、1回目から3回目までの「サセレシア」はリフレインしていて、6分から12分くらいと長めに使われているものの、劇中では計4回しか流れておらず、決して全篇「サセレシア」だけでないことは明らかであり、父の記憶間違いは明白です。

また、悲しいシーンには明るい曲を付けて欲しい、という小津監督の要望から生まれた「サセレシア」とは対照的に、映像に合わせた悲し気な曲や綺麗な曲が数ヶ所使われており、いずれも30秒程度と短いものですが、「サセレシア」の他にも素晴らしい音楽が用いられていたことは思いがけない発見でした。

失敗作と酷評される『東京暮色』ですが、「サセレシア」は小津監督一番のお気に入りで、映画音楽に関しては満足していたと聞いていました。ところが、髙橋治によると小津監督と篠田正浩の間では、次のような会話が交わされていたそうです。

完成試写のあとで、小津はもう一度篠田に聞いた。
「どう思う」
「音楽を入れたら、テンポが落ちましたね」
小津は黙ってうなずいた。
「そうなんだ。音楽が入って悪くなる写真は駄目だ」
篠田は小津のその潔さに感動したという。
「絢爛たる影絵――小津安二郎」(髙橋治)より

動画について

①ブルー・インパルス ②オーバー・ザ・ギャラクシー ③オンリー・ワン・アース ④輝く銀嶺 ⑤東京物語(吹奏楽アレンジ) ⑥彼岸花(吹奏楽アレンジ) ⑦秋刀魚の味(吹奏楽アレンジ)

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