『東京暮色』とフェリーニの『道』にみる人間の描き方

小津監督は、当初『東京暮色』のヒロインに岸恵子を予定していました。ところが、岸が出演する東宝作品『雪国』の撮影スケジュールが大幅に延びたため、岸の代役として有馬稲子を起用しました。最初の誤算は、原節子、山田五十鈴、岸恵子という三大女優の共演が叶わなかったことでしたが、そもそも作品のコンセプトにブレがあったように思います。

小津監督は、『東京暮色』について次の様に述べていました。

これは若い女の子の無軌道ぶりを描いた作品だと言われるが、ぼくとしてはむしろ笠さんの人生――妻に逃げられた夫が、どう暮して行くかという、古い世代の方に中心をおいてつくったんです。
「自作を語る」より

有馬稲子、原節子、山田五十鈴ではなく、笠智衆の人生を物語の中心として描きたかった、と考えていたというのです。これに対して、井上和男はかなり批判的な意見を述べています。

小津が周吉(笠智衆)を描くつもりだったとすると、では京城へ出張中に部下と懇ろになり、のちに失綜した妻(山田五十鈴)を周吉はどう思っているのか。黙々と侘しい姿を銀行の監査役でまぎらせるだけでは飽きたらない。小津はよく、芝居を押し切らないで余白を残すと言ったが、この場合は余白ではなく、明らかに芝居が不足なのだ。
「小津安二郎全集」(井上和男)より

一方、髙橋治は「わからせようとするのは下衆だ」「刃は懐に呑んだままにする」と語った小津監督の演出哲学を挙げ、一定の理解は示すものの、有馬稲子と笠智衆の演技力不足を指摘しました。

必要以上に説明を省くのが小津作品の特徴なのだが、説明が省かれた場合、優れた演技者は、画面にない部分を、これと明確にはしないまでもふんわりとふくらませてくれる。だが、逆の場合、説明のない分、行動が奇矯になり、わけのわからない人物として客の眼に映ずる。
「絢爛たる影絵――小津安二郎」(髙橋治)より

また、山田五十鈴はじめ、有馬稲子、原節子ら女優陣の演技は評価できるが、笠智衆の表現力が著しく欠けていたのではないかと指摘する伊良子序の見解は、私が抱いてきた印象に極めて近いものを感じました。

夫と娘を棄てて駆け落ちした母親を演じた山田五十鈴の葛藤、出生の秘密を知った二女役の有馬稲子の自暴自棄の演技は十分に合格点を与えられる。ことに山田五十鈴の演技はずば抜けて素晴らしい。きつい顔で母をなじる長女の原節子もみごとな演技を見せている。そうした女たちのリアルさに比べて、肝心な笠智衆の周吉だけが所在なげで、深い哀しみ、無常感をしっかり表現できていない。妻には逃げられ、長女は家庭不和、二女が自殺ときては、周吉の人生はあまりにきつい。崩壊してゆく家族をただ傍観するしかない初老の男の底知れない心の空洞を描き切れていたら、「東京暮色」は「東京物語」を超える傑作になった可能性がある。
「小津安二郎への旅」(伊良子序)より

イタリア映画『道』は、『東京物語』の翌年、1954年に公開された不朽の名作です。実はつい先頃(2020年2月)、浅草の大道芸人プッチャリンとのコラボレーション企画で、サイトウ・メモリアルアンサンブルが『道』のテーマ曲の生演奏を行いました。そんなこともあり、改めて『道』を観直してみました。

『道』が名作と言われる理由には、ニーノ・ロータが作曲した「ジェルソミーナのテーマ」が映画音楽史に輝く名曲であることも寄与していますが、大道芸人ザンパノが夜の海辺で泣き崩れるラストシーンがあったからではないでしょうか。

野蛮で冷酷な人物として描かれたザンパノが、哀れで脆弱な人間の姿を露わにした時、観る者は初めてザンパノの後悔に深く共鳴するのです。フェリーニ監督は随所に余白を残しつつ、最後に自らが描きたかったテーマを大胆に表出し作品は成功しました。もしあのシーンがなかったら、『道』は平凡な作品と見なされたかも知れません。

もしも、『東京暮色』のラスト近くに、誰もいなくなった部屋に一人取り残された笠智衆が、誰はばかることなく泣き崩れるシーンが挿入されたとしたらどうでしょう?ザンパノが見せたように、苦悩をひた隠しに続けてきた笠智衆が、最後に弱い人間の本性を露わにしたとしたら、伊良子序が述べたように『東京暮色』は『東京物語』を超える傑作になったでしょうか?あるいは、さらに失敗作とこき下ろされたのでしょうか?

何かと悪評の高い『東京暮色』ですが、ヴィム・ヴェンダース監督は、第68回ベルリン国際映画祭(2018年2月17日)クラシック部門で『東京暮色 4Kデジタル修復版』のワールドプレミアが行なわれた際、次のような感想を述べました。

本作はとても好きな作品で、白黒映画の真の傑作です。また非常にフィルム・ノワールな点、そして面白いことに当時のフランスの哲学、実存主義につながる小津の中でもユニークな作品でもあることが理由です。

『東京暮色』への評価は、時間と共に少しずつ変化してきているのかも知れません。しかし、自分にとっては『東京物語』に勝るとも劣らぬ名作であることに何ら変わりはありません。

sight-and-art.org

動画について

①ブルー・インパルス ②オーバー・ザ・ギャラクシー ③オンリー・ワン・アース ④輝く銀嶺 ⑤東京物語(吹奏楽アレンジ) ⑥彼岸花(吹奏楽アレンジ) ⑦秋刀魚の味(吹奏楽アレンジ)

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