失敗作が面白い!
小津映画は、どの作品をとっても脚本、映像、音楽ほか全てのバランスが絶妙に整っており、無駄や矛盾が少なく、あらゆる面に於いて極めて完成度の高い良質な作品ばかりであることは、今さら私が言うまでもありません。しかし、優れた作品を数多く遺した小津監督ご自身が、これは失敗作であったと公言している作品が「東京暮色」と「風の中の牝鶏」の2作品でした。
また、傑作揃いと評される紀子3部作、「晩春」「麦秋」「東京物語」の狭間に作られた「宗方姉妹」と「お茶漬けの味」の2作品も、失敗作の範疇に含まれると言われることがあります。公開年度は「晩春」1949年、「宗方姉妹」1950年、「麦秋」1951年、「お茶漬けの味」1952年、「東京物語」1953年と連続しています。
実は、自分にとって特に好きな小津作品が、これら失敗作と見られがちな「風の中の牝鶏」「宗方姉妹」「お茶漬けの味」「東京暮色」の4作品なのです。改めて観直してみると、相変わらず興味を惹かれる作品であることに間違いありませんが、各作品に共通してある疑問点が生じました。それは「風の中の牝鶏」では佐野周二と田中絹代、「宗方姉妹」では山村聰と田中絹代、「お茶漬けの味」では佐分利信と小暮実千代の各夫婦、そして「東京暮色」では笠智衆と山田五十鈴の元夫婦の描かれ方についてでした。
それぞれの夫婦は、「宗方姉妹」と「東京暮色」では破綻、「風の中の牝鶏」と「お茶漬けの味」では和解へと至りますが、夫婦関係の機微が伝わってこないため、夫婦がこれまで抱えてきた苦悩や問題点が不明瞭です。対立する夫婦は、自己中心的で感情の起伏が激しい人物(加害者)、温和で忍耐強く感情を表に出さないタイプの人物(被害者)と、相反する性格の持ち主として単純化されており、人物像の描き方としては少々物足りなさを感じました。
しかし、そこは小津監督の演出哲学と捉えることもでき、観る側に委ねられていると解釈すれば、さほど気にはなりませんでした。むしろ、非日常的な行為や破滅的な言動を繰り返す人物を登場させることによって、その不自然さが他の小津作品とは趣の異なる面白味を引き出しているとも言えます。また、音楽についても色々な気付きがあったので、触れておきたいと思います。
小津監督には好きな音楽を劇中で使いたがる傾向があった、と父高順から聞いています。「風の中の牝鶏」では、「夢淡き東京」「夏はきぬ」及び小津監督お気に入りの「ビア樽ポルカ」が初めて登場しました。「宗方姉妹」はかなり音楽が多用されていて、オルゴールの音色、タンゴ、クラシック風のピアノ曲、そしてここでも「ビア樽ポルカ」が使われており、全体的に音楽による効果を積極的に試みた感じがします。
「お茶漬けの味」にもオルゴールの音色とポルカ(ビア樽ポルカ風の曲)が流れます。鶴田浩二の「アルト・ハイデルベルヒ」、笠智衆の「戦友の遺骨を抱いて」、小暮実千代らによる「すみれの花咲くころ」など、自分が好きな曲を登場人物に歌わせるという手法を採り入れました。また、ラーメン屋のシーンでは「サンフランシスコのチャイナタウン」が聞こえてきました。
「お茶漬けの味」では野球場や競輪場を俯瞰で見せるロングショットや、登城人物と一緒にカメラも移動するなど、従来の撮影スタイルからやや逸脱した冒険的な試みも見られます。「晩春」「麦秋」という傑作を生み出した余裕から、さらなる新境地を目指した現われかも知れません。
紀子3部作があまりにも成功したため、これまでさほど注目されませんでしたが、「宗方姉妹」と「お茶漬けの味」も実に魅力的な作品であり、是非とも多くの方にご覧いただきたい名作です。