小津映画に登場する性悪な女性像

小津映画に登場する人物は概して小市民ですが、謹厳実直かつ品行方正で、家族愛に満ち溢れた日本人本来の姿であるかのごとく評されることがあります。しかし、それは大きな誤解であり、しばしば極めて性質の悪い女性が登場することを見逃してはいけません。(写真:栗島すみ子)

「淑女は何を忘れたか」が公開された1937年(昭和12年)は日中戦争開戦の年であり、日本中が軍国主義へと突き進む暗い時代であったはずですが、作品に登場する街の雰囲気や男女の振る舞い、洗練されたファッションなど、我々の歴史認識との大きなギャップに驚かされます。音楽もスチールギターを多用したハワイアン風の長閑な曲が流れます。

主要な登場人物である斎藤達雄と栗島すみ子夫妻、桑野通子演じる姪の人間像は、常日頃我々が目にするものと何ら変わりがありません。ここで注目すべきは、栗島演じる妻の底意地の悪さです。一応セレブ妻の設定ですが、言葉使いも態度も劣悪で、気弱な夫を徹底的に虐げる悪妻ぶりを見せつけます。また、姪の桑野は大酒呑みでヘビースモーカー、自由奔放な娘で、何でも言いたい放題の男前な性格の持ち主として描かれています。

戦前の小津作品(サイレントを除く)では、「淑女は何を忘れたか」の栗島すみ子が一番の性悪女と言えるでしょう。戦後の作品になると、意地悪な女性は沢山登場しますが、性悪女の代表格としては、まず「お茶漬けの味」の木暮実千代が挙げられます。木暮も栗島同様にセレブ妻という設定で、やはり夫役の佐分利信を馬鹿にしては悪態をつきます。贅沢三昧の自堕落な日常を過ごし、飲酒や喫煙は当たり前で、夫に嘘をついて悪友たちと温泉旅行へと繰り出します。(写真:小暮実千代と山田五十鈴)

次の性悪女には、「東京暮色」の山田五十鈴を挙げたいと思います。不良娘役の有馬稲子は多少素行が悪い程度ですが、母親役の山田は不貞行為をはたらき、夫役の笠智衆と幼い子供たちを残して間男と失踪するという大胆な性悪ぶりを発揮します。自分が見捨てた子供たちと再会しても謝罪すらなく、厚顔無恥な姿で接する有り様です。有馬の死を「お母さんのせいです。」と言い放つ原節子の厳しい一言によって、有馬が笠と山田の間に生まれた子ではなかった可能性さえ暗示しています。この作品で山田五十鈴は、恐ろしいほどの性悪女役を見事に演じ切りましたが、ラスト近くで見せる、原節子を待つ哀れな母親の姿は印象的でした。

最後の性悪女は、「小早川家の秋」に登場する浪花千栄子と団令子の母娘です。浪花はかつて中村鴈治郎と愛人関係にあって、団は二人の娘ということになっていますが、実は別な男との間にできた子だったのです。団もそのことに気付いていますが、中村を金蔓にするため娘のふりを続けます。浪花も中村を利用することばかり企んでいましたが、浪花宅で中村が急死してしまいます。中村を亡くしても金蔓を失った程度にしか考えない浪花と団の母娘は、まさしく性悪女の典型と言っても過言ではありません。

これらの性悪女には、実在のモデルが存在したのかが気になるところです。これは私の勝手な妄想で、恐らく当たっていないと思いますが、性悪女に振り回されつつも心惹かれ、赦してしまう男の愚かさやペーソスを描くには、やはり実体験が伴わないと説得力のある映像は生まれないように思います。

もしかすると小津監督と恋仲にあったと言われる小田原「清風」の森栄をイメージしたものではないか…。深い関係を続けつつ結婚へと踏み切れない小津監督にとって、森は愛おしい存在であると同時に精神的な重荷ともなり、大いに苦悩させられた小津監督は、映像の中の性悪女たちに森の姿を投影していた…とは考えられないでしょうか?(写真:浪花千栄子と団令子)

動画について

①ブルー・インパルス ②オーバー・ザ・ギャラクシー ③オンリー・ワン・アース ④輝く銀嶺 ⑤東京物語(吹奏楽アレンジ) ⑥彼岸花(吹奏楽アレンジ) ⑦秋刀魚の味(吹奏楽アレンジ)

Translate

category

ページ上部へ戻る
Translate »