紀子三部作と黒澤、成瀬


小津の代表作は、紀子三部作『晩春』『麦秋』『東京物語』であると言って異論はないでしょう。原節子は、紀子役を演じたこの3作品以降、『東京暮色』『秋日和』『小早川家の秋』にも出演し、計6作品の小津映画に起用されました。原節子というと小津作品のイメージが強いのですが、意外に出演本数は少なく、しかも『東京暮色』以降はヒロイン役でもありませんでした。

紀子三部作は小津の代表作でしたが、原節子にとっては決して代表作ではなかったのです。それどころかあまり役柄に共感できず、むしろ不満にさえ感じていたことを知りました。「女帝 小池百合子」が好評の石井妙子が著した「原節子の真実」によると、原には気性の激しさがあり、自己主張が強く、周囲にはっきりものを言うタイプだったようです。良妻賢母よりも、むしろ「トゲのある役がやりたかった」と述べていたとありました。

これは意外でしたが、原節子は清く正しく美しい、古風で奥ゆかしい日本女性を演じることに大きな矛盾を感じていたのです。また、紀子三部作と前後して黒澤明の『白痴』、成瀬巳喜男の『めし』『山の音』にも出演していますが、小津映画以外の原節子はどのような役柄を演じていたのでしょうか。

作品名、公開年月、原の実年齢は次の通りです。

『晩春』小津…1949年9月(昭和24年)29歳
『白痴』黒澤…1951年5月(昭和26年)30歳
『麦秋』小津…1951年10月(昭和26年)31歳
『めし』成瀬…1951年11月(昭和26年)31歳
『東京物語』小津…1953年11月(昭和28年)33歳
『山の音』成瀬…1954年1月(昭和29年)33歳

黒澤明の『白痴』は失敗作とこき下ろされた作品でしたが、原節子をはじめ出演者の何人かが小津映画と被っており、その役柄はまるで真逆の性格を演じていて、小津映画との対比が興味深い異色作です。原節子は政治家の愛人で、淫らで強欲なうえ、気性の荒い悪女役を演じました。黒いマントを羽織り高笑いする姿は、まるで妖怪人間ベラのように不気味ですが、その妖艶さはこの世のものとは思えません。また、『麦秋』と『東京物語』では穏やかで善良な老婦人を演じた東山千栄子が、ここでは狡猾で腹黒く、底意地の悪い婦人役を、『彼岸花』と『お早よう』で清純無垢な娘役を演じた久我美子は、東山千栄子の娘として母親に勝るとも劣らない意地悪く高慢な我儘娘を演じています。3人とも悪意と憎悪をむき出しにする悪女役で、小津映画で見せる麗しい姿とのギャップに面食らいます。

『麦秋』のすぐ後に公開された成瀬巳喜男の『めし』は、早坂文雄の音楽が黒澤映画風の雰囲気を醸し出す一方、大阪バスツアーのシーンは『東京物語』のはとバスツアーのシーンに似ていて、このシーンの音楽は斎藤高順が小津のために書いた音楽との類似性が見られます。この作品で原節子は新境地を拓いたとも言われましたが、髪型や全体的な雰囲気はあまりパッとせず、いつもの華やかさがありません。対照的に、姪の里子を演じた島崎雪子(『青い山脈』で原節子が演じた役名)の瑞々しさと小悪魔的な可愛らしさが際立っており、原の魅力がほとんど引き出されていないように感じました。

また『山の音』は、舞台が鎌倉で音楽は斎藤一郎、登場人物から画面の構図まで小津作品に酷似していますが、物語は成瀬が得意とするドロドロ感満載で、ある意味小津へのアンチテーゼではないかと思える似て非なる作品です。原は内面的な屈折を抱える難しい役を演じましたが、黒澤作品ほどの意表性はないものの、成瀬は小津、黒澤とは一味違う原節子の起用法を見出したと言えるでしょう。

原節子は小津、黒澤、成瀬の中では、特に小津作品での役柄に不満足だったようで、「ピンとこない」とさえ言ってあまり評価していませんでした。しかし、世界的に見ても小津が描いた紀子の役柄こそ、最も評価され敬愛される原節子のイメージそのものと言えるのではないでしょうか。

私見ですが、小津作品の中では『東京暮色』の孝子役が特に良かったように思います。実年齢では3歳しか違わない山田五十鈴との母娘役は見ごたえがあり、二人が対峙するシーンではお互いのプライドが静かに燃え上がっているような凄味がありました。山田五十鈴を睨みつけるシーンでは、原節子の右目が少し斜視気味に見えるのは気のせいかと思っていましたが、少し前に白内障の手術を受けていたことを知りました。すでに右目の視力をほとんど失っており、引退を考え始めた頃だったようです。

しかし、世間では紀子のイメージばかりが独り歩きしてしまった感のある原節子ですが、実はそのことに不満を感じ、小津本人や小津作品との関係性も思いのほか薄かったことを知りました。「女帝 小池百合子」と併せて「原節子の真実」もお勧めの一冊です。原節子が躍動した日本映画の黄金期を知るうえでも外せない名著です。

動画について

①ブルー・インパルス ②オーバー・ザ・ギャラクシー ③オンリー・ワン・アース ④輝く銀嶺 ⑤東京物語(吹奏楽アレンジ) ⑥彼岸花(吹奏楽アレンジ) ⑦秋刀魚の味(吹奏楽アレンジ)

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