幻の遺作「東京物語五重奏」
2003年、小津監督生誕100周年に当たるこの年の7月2日、横浜みなとみらいホールにて開催された「昼どきクラシック(アフタヌーン・コンサート)」の中で、「東京物語五重奏」は初演されました。演奏者は、横浜音楽文化協会のメンバーで構成されており、当協会の会長を務めていたのはチェロ奏者・斎藤鶴吉(父の弟)でした。
父は鶴吉叔父から相談を受けて、演奏者の構成に合わせた作品の作編曲を行ったのです。折しも、2003年は小津監督生誕100周年の記念イヤーでしたから、巷では映画ファンを中心に小津ブームが再燃している最中でした。
そこで、父は思い出深い「東京物語」の主題曲と夜想曲を弦楽五重奏曲に書き直し、世間へ公表することにしたのです。実は、2003年という年は小津監督生誕100周年であると同時に、「東京物語」公開50周年にも該当し、二重の意味で記念すべき年でした。
父が映画音楽の世界に身を置いたのは、1953年公開の「東京物語」から、小津監督の遺作「秋刀魚の味」が公開された1962年までのおよそ10年間でした。それ以降は、ほぼ映画音楽の仕事に携わっていません。作曲家にとって、最も魅力的な仕事は映画音楽を手掛けることである、と言って飛び込んだ映画の世界でしたが、父にとっては小津監督との出会いから、そしてお別れするまでの10年間がその全てだったのです。
また、「東京物語」公開時には独身だった父は、松竹大船撮影所の音楽部で指揮者を務めていた吉澤博の姪(私の母)と1955年に結婚し、その後は小津映画の公開と共に私たち兄弟も誕生していきました。それから、終戦後信州で暮らしていた両親(私にとって祖父母)を呼び寄せ、世田谷の斎藤家は一層賑やかな家庭になりました。しかし、映画音楽の仕事を誰よりも楽しみにし、期待していた祖母を1962年、祖父を翌1963年2月に相次いで亡くし、そして同年12月12日には小津安二郎監督が闘病の末に亡くなりました。
自ら望んで就いた映画音楽の仕事でしたが、およそ10年間走り続けて、自分の中で一区切りが付いたのかも知れません。両親、そして小津監督を失った翌1964年以降、父はパタっと映画音楽の仕事から遠ざかったのです。そんな父でしたが、やはり晩年になって改めて向き合ってみたくなったのは「東京物語」をはじめとした小津作品の数々でした。父は2004年4月に亡くなりましたが、未発表のまま自筆譜と音源が遺されていた小津映画音楽ピアノ曲集は、2017年になって楽譜出版とCD発売が実現しました。
そして、今回は幻の遺作「東京物語五重奏」の撮影・録音を、演奏家である兄妹たちの協力のもと実現に漕ぎ着け、蓼科高原映画祭へご提供する運びとなりました。編成は、ファーストヴァイオリンの代わりにオーボエが加わったので、コントラバス奏者の順(三男)がアレンジを施し、斎藤ファミリーバージョンの「東京物語五重奏」が完成しました。斎藤高順の家族が一堂に会し、総力を結集した「東京物語五重奏」の演奏動画を、是非ともご堪能ください。
以下は、斎藤高順が書き遺した「東京物語五重奏」の自筆譜です。