世界日報と日経新聞の記事
2020年12月19日のイベントは、世界日報と日経新聞の2紙へ記事が掲載されました。会場となったエスパス・ビブリオは、私たちが2015年12月12日に初めて小津映画音楽イベントを開催した場所です。以降、エスパス・ビブリオでは毎年イベントを継続的に行っています。店内には、カフェ・エリア、イベント・スペース、テラス・エリアがあり、今回のライブイベントはカフェ・エリアを使って行いました。
《カフェ・エリア》
《イベント・プログラム》
以下に、エスパス・ビブリオ店内の画像と新聞記事の内容を転載します。
《イベント・スペース》
《世界日報・2020年12月26日の記事より》
「東京物語」など小津安二郎の戦後の名作の映画音楽を担当した作曲家、斎藤高順の子息が中心となったサイトウ・メモリアルアンサンブルによる「小津安二郎が愛した心を癒す音楽コンサート」が、東京・神田駿河台のカフェ、エスパス・ビブリオで開かれた。コロナ禍中とあって、限定20人での開催だったが、小津映画を彩った音楽の生演奏に、癒やしのひとときを味わった。
斎藤高順は、大正13(1924)年、小津と同じ東京・深川に生まれ、東京音楽学校(現・東京芸術大学)に学び、「海行かば」などを作曲した信時潔の指導を受ける。
同期には芥川也寸志などがいる。吹奏楽、管弦楽、室内楽などの作品を多く残すが、行進曲「ブルー・インパルス」の作曲をきっかけに航空自衛隊音楽隊長、警視庁音楽隊長を歴任した。
53年に松竹から「東京物語」の音楽監督に抜擢されて以降、「早春」「彼岸花」から遺作「秋刀魚の味」までの7作品を担当し、日本映画の至宝となった小津作品を音楽の面で支えた。
サイトウ・メモリアルアンサンブルは、斎藤高順の長男、斎藤章一さん(チェロ)、長女の内藤景子さん(バイオリン)などが中心となったアンサンブル。今回は、敗戦後の混乱、貧困の時代を経て、日本が再び立ち上がろうとする時代、小津映画音楽が多くの人に希望と癒やしを与えたとの観点から、「コロナ禍の今だからこそ、現代に甦る小津調サウンドは、疲弊した現代人の心を癒すでしょう」(主催者)との気持ちを込めて開かれた。
当日の演奏曲は「秋日和」の主題曲、ポルカ、「東京物語」の主題曲、夜想曲、「早春」「東京暮色」「彼岸花」のサセレシアなど。小津が映画の中で使用した、好きな曲「アニー・ローリー」「巴里の屋根の下」なども演奏された。いわゆる「小津調」を支える穏やかで、しみじみとした、時には軽快な音楽を楽しんでいると、自然と映画の場面が浮かんでくる。
司会を務めたのは斎藤高順の子供のうちただ1人音楽家にはならなかったという次男民夫さん。高順の回顧録から、高順の生い立ち、小津安二郎との出会い、「東京物語」の音楽にまつわる小津監督とのやりとり、そこから知った小津の映画音楽観などに触れた一節を演奏の合間に朗読しながら進められた。
中でも興味深いエピソードは、「東京物語」で、東山千栄子が戦死した次男の嫁、原節子のアパートを訪れる場面の吹込みで、小津が「この音楽はシーンと合い過ぎて、映画全体のバランスが崩れるから」とボリュームを小さくして入れた話。
いい出来栄えと思っていた斎藤はがっかりするが、「ぼくは、登場人物の感情や役者の表現を助けるための音楽を決して希望しないのです」「いくら、画面に悲しい気持ちの登場人物が現れていても、その時、空は青空で陽が燦燦と照り輝いていることもあるでしょう。これと同じで、ぼくの映画のための音楽は、何が起ころうともいつもお天気のいい音楽であって欲しいのです」との小津の言葉に、その映画音楽観をしっかり理解した。
二人の芸術家のこういったやりとりの中で、小津映画の芸術的な高さ、奥行きが生まれたことが分かる。「お天気のいい音楽」の発想は、コロナ禍の中で生きるわれわれにも示唆に富むものがある。…(中略)…
(特別編集委員・藤橋進)
《テラス・エリア》
《日経新聞・2021年1月17日の記事より》
20年12月、神保町エリアのカフェ「エスパス・ビブリオ」で、あるコンサートが開かれた。映画監督、小津安二郎の作品で音楽を担当した故・斎藤高順さんの子息らで作る「サイトウ・メモリアルアンサンブル」が映画音楽を奏で、合間に故人の残した制作裏話のエッセーが朗読される。小津映画の感動を楽器と言葉と人を通じてよみがえらせる試みだ。…(以下省略)…