小津安二郎のグルメ手帖(浅草編)
劇団にんげん座の公演に携わるようになって、浅草を訪れる機会がずいぶん増えました。演劇の打合せや稽古は必ず浅草で行われ、終わった後は決まって皆さんと飲み会になります。この頃はチェーン店も増えましたが、昔ながらの風情ある佇まいの店が多く残っているのも浅草の魅力です。
小津監督は食通としても有名で、とんかつの蓬莱屋(大正元年創業)、鰻の尾花(明治元年創業)、鶏すき焼きのぼたん(明治30年創業)はよく知られていますが、浅草にも何軒かお気に入りの店がありました。
たとえば、鰻の小柳(大正15年創業)や並木藪蕎麦(大正2年創業)、電気ブランでお馴染みの神谷バー(明治13年創業)や天ぷらの老舗中清(明治3年創業)などですが、いずれも明治・大正の頃より代々引き継がれた伝統を大切に守り続けてきた名店ばかりです。
実は、来年2月11日に「小津安二郎生誕120周年記念コンサート&朗読(仮称)」というイベントを浅草で開催しますが、会場となる大黒家も浅草界隈では有名な天ぷらの名店です。大黒家の別館4階にイベントホールがあって、そこを使わせていただくことになりました。
大黒家とは不思議なご縁があって、元々は春日宏美さん(元SKDのトップスター)のご紹介でしたが、四代目店主の丸山眞司氏はファゴット奏者、妻の益江さんはヴァイオリニストで、益江さんと義妹の美枝は共に台東区ジュニアオーケストラのトレーナーを務めており、十数年来の顔見知りでした。
そして、もしかしたら…と思い「小津安二郎東京グルメ案内」「小津安二郎の食卓」「小津安二郎美食三昧」を読み直してみると、やはり載っていました!
貴田庄氏の説明には、
天ぷらの名店「大黒家」は、柳橋のたもとに一軒家を構え、今も昔の風情を漂わせている。そこは神田川が隅田川に注ぐ目前にあって、船宿がいくつもあり、神田川に係留している屋形船を見れば、戦前の柳橋界隈はこれに近かったのではないかと思えてくる。
とありました。
ここで疑問が生じたのは、柳橋と浅草は少し場所が離れており、もしかすると大黒家といっても別の店なのかな?…ということでしたが、その疑問はすぐに氷解しました。
小津監督が訪れた大黒家は、昭和23年に浅草の本店から暖簾分けした姉妹店で、三代目店主は代々引き継いだ江戸前天ぷらの技術と味を今も大切に守り続けているそうです。本当に偶然ですが、小津監督がこよなく愛した天ぷらの名店大黒家で、私たちは小津安二郎生誕120周年記念イベントを行うことになります。
蛇足かも知れませんが、小津監督は和菓子もお好きだったらしく、浅草の梅園(安政元年創業)へもよく足を運んでいたようですが、むかし取引先が近くにあった関係でしばしば利用していた麹町の鶴屋八幡という和菓子屋も、グルメ手帖に記載されていました。
しかも、鶴屋八幡は大阪本店と東京麹町店の二つが記載されており、かなりお気に入りの和菓子店だったのかも知れません。これも全くの偶然ですが、不思議な縁を感じて少しうれしくなりました。