山田洋次監督 小津安二郎監督を語る (2002年1月15日)

小津作品と寅さんシリーズは、松竹にとって最も尊重すべき作品であり、これからも繰り返し上映し続け、未来に継承すべき貴重な財産である、というような話を松竹関係者からお聞きしたように記憶しています。今や小津安二郎監督と共に、松竹映画の至宝とも称される山田洋次監督ですが、意外にも若い頃は小津作品に否定的な見方をしていたそうです。

海外の映画ファンのみならず、日本国内でも小津安二郎の映画と黒澤明の映画ならば、黒澤映画の方が断然面白いという映画ファンが多いのではないか…そんな気がします。実は山田洋次監督も、長い間小津映画よりも黒澤映画の方を評価していたのです。小津映画など「いつも同じような話ばかりで、何も起きないではないか」と批判的な見方さえしていたとのことです。

しかし、ある時敬愛する黒澤監督が、自宅で小津映画を繰り返し観ていることを知り大変衝撃を受けたといいます。自分はこれまで、一体小津映画の何を観ていたのか、と恥ずかしい思いがしたと述懐しています。

私自身も全く同じで、若い頃はなんて退屈な映画なんだろうと思っていました。いつも最初の数分観ただけで眠くなってしまい、ウトウト居眠りしたあと目を開けると、同じような場面のままだったという印象しかありませんでした。これは、小津映画初心者の多くが感じる、正直な感想ではないでしょうか。

それが年齢を重ね、様々な人生の苦難や試練を経験した後に、ふとした機会に改めて小津映画を観たときに、これまでの印象は一変するのです。精神的な成熟度が増したとき、その味わい深さにようやく気付けるようになるのかも知れません。以下は、「巨匠たちの風景」(伊勢文化舎)から、山田洋次監督が小津映画について語った文章を抜粋したものです。

まさに、小津映画の神髄を見事に捉えていると思います。まだ小津映画の魅力に気付いていない多くの映画ファンにこそ、是非とも読んでいただきたい文章です。

山田洋次監督
若い頃、ぼくは変な映画だと思いましたね。たいして面白くもない、とても妙な映画でした。

小津さんの映画がどういうふうに奇妙かというと、それは独特のカメラポジションとか、パンがないとか、移動がないとかいろいろあるけど、要するに何ていうか、激しい感情の表現がまるでないってことですね。俳優が大声でゲタゲタ笑うとか、大声で泣くとか、怒って叫ぶとか、そういうことが一切ない映画なんですね。長口舌もふるいません。一人の俳優が一度にしゃべるせりふの量が決まってるんです。長いせりふをダーッとしゃべるなんてことはやらない。それから大事件が起きない。アメリカの映画なんか地球が滅ぶというような大事件までSFXでやるんだけども、小津さんの場合はほんのちょっとした波風、小津さんにいわせればドラマでなくってアヤだっていうんだけど、まさしく人生のアヤだけで映画をつくってる。

若者にとっては到底受け入れることができないというのは当り前です。若いのに小津さんの映画がいいというのは、よほどひねこびた奴ですね。それが年とると分かってくる。ぼくもそうでした。監督になって、ある年齢になってくると、すごいなこの人の個性はと思うようになってきた。

たんたんたる人の暮らしのちょっとしたエピソードを捉えて、人間全体を描こうとしているのかな。人生、社会までそこに浮かび出てくるっていうか。そこのところが小津さんの映画の偉大さじゃないでしょうか。小津さんの視点はピシッと決まっていて、とても細い穴のようなところから人間を見るんだけど、実は微細なくらしのアヤを描きつつ、全体がそこに出てくる。そこに映画を見る歓びを観客は感じるようになる。

『タイタニック』のように巨大な船が傾いて沈没する、乗客はどうやって死んでいくか、それを全部写しちゃうみたいなことで喜んでるっていうのは、ぼくはある意味で映画の衰弱だと思います。おそらく小津さんは、あの映画を見たら笑い出すんじゃないでしょうか。あれで人間が何もかも描けたと思うのは間違いだと思いますよ。登場人物が何百人いたって、実はあまり人間は描けてないってこともあるわけで、『タイタニック』が人生や社会をちゃんと描けてるかというと描けてないと思う。小津さんは細部を描きながら全体を描くことがができた希有な人なんでしょうね。
「巨匠たちの風景」(伊勢文化舎)より引用

動画について

①ブルー・インパルス ②オーバー・ザ・ギャラクシー ③オンリー・ワン・アース ④輝く銀嶺 ⑤東京物語(吹奏楽アレンジ) ⑥彼岸花(吹奏楽アレンジ) ⑦秋刀魚の味(吹奏楽アレンジ)

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