小津安二郎 幻の遺作その2 『大根と人参』
小津は『秋刀魚の味』のあと、次回作として『大根と人参』を予定していた。
小津と野田の構想の中では、すでに主な配役が決まっていた。
初老の会社員役に笠智衆、細君は三宅邦子、息子が吉田輝雄。
笠の旧制高校以来の友人役に佐分利信、その細君は田中絹代、娘が岩下志麻。
二人は無二の親友であり、細君同士も親戚同様の付き合いをしているという設定である。
さらに、お節介な同窓生役として中村伸郎が登場し、親友二人の息子と娘に縁談話を持ちかける。
また、医者になった同窓生役に北竜二、とここまではお馴染みの俳優たちがいつもの小津映画を演じるはずであった。
目新しい点としては、『東京暮色』以来の起用となる信欣三が、癌に冒された同窓の友人役として登場する。
信欣三の癌を診断するのが北竜二で、それを本人へ伝えるべきか否かで笠と佐分利が仲違いをしてしまう。
ところが、細君同士は二人の喧嘩は放っておいて、息子と娘の結婚の支度を進め、とうとう子供たちの結婚式までこぎ着けるというストーリーである。
当時から癌は身近な病気と認識されており、同窓生のひとりが癌を患うという話はリアリティがあったのだろう。
それにしても、小津本人が末期の癌に冒されていたとは、運命の皮肉としか言いようがなかった。
『青春放課後』の執筆を終えた小津は、翌日には蓼科へ戻り『大根と人参』の打ち合わせを再開した。
しかし、頚部の疾患は小津の肉体を蝕み続けた。
とうとう小津と野田は、『大根と人参』の執筆継続を断念せざるを得なくなった。
その後、『大根と人参』の脚本は渋谷実と白坂依志夫へ引き継がれ、1965年に渋谷監督版の『大根と人参』が公開された。
松竹は小津安二郎の記念映画として、人気スターを20人も登場させるなど派手な宣伝に打って出た。
だが、残念ながら小津映画らしさとは無関係な作品となってしまったようだ。