小津安二郎 幻の遺作その1 『青春放課後』

『青春放課後』は、1963年(昭和38年)3月21日の放送記念日特集として、NHK総合テレビで午後8時から9時30分までの90分枠で放映されたテレビドラマである。
当時は録画技術が発達していなかったため残存していないと思われていたが、2013年(平成25年)NHKに映像が残っていることが分かり、デジタル化を行い同年10月14日にNHK BSプレミアムで約50年ぶりに放映されることになった。

このテレビドラマこそ、小津安二郎の最後の仕事であった。
『秋刀魚の味』完成後より、妙な疲れを感じていた小津だったが、1963年の新年は野田高梧夫妻、池田忠雄とともに蓼科で迎えた。
すでに、新作『大根と人参』の打ち合わせのため、『長屋紳士録』以来実に16年ぶりに池田も加えた布陣で、マンネリ打開を果たそうとしていた。
そこへ、NHKのプロデューサー山内大輔から、急な仕事の依頼が舞い込んだ。
山内大輔は作家里見弴の三男であり、『青春放課後』の企画制作担当だった。

小津は、若い頃から里見文学の愛読者だった。
トーキー以降は会話表現の達人である里見の小説から多くのヒントを得てきたが、『彼岸花』と『秋日和』では里見の原作を元に野田と小津がシナリオを書くというスタイルを確立した。
晩年最も敬愛していた里見惇の息子の頼みであり、里見との共同脚本でもある『青春放課後』の依頼を快諾したことは間違いないだろう。
小津は、1月10日には『大根と人参』の打ち合わせを中断し、北鎌倉の自宅へ戻ることにした。
『青春放課後』の執筆は、それから3月14日に蓼科へ戻るまでの間の仕事であった。

小津の日記によると、原稿完成までは不眠不休のような過酷なスケジュールの中、必死で頑張り抜いたようだ。
それでも、脚本が遅れに遅れ、完成したのはビデオ録画の前日だったそうだ。
映画生活40年の小津も「締め切りのある仕事はこれがはじめて。この年になって、徹夜させられたからね。」とニガ笑いしていたという。
脱稿したのはもう夜中を過ぎていたが、里見はしきりに疲れを訴える小津の頚部を指で触ってみると百円銀貨くらいの瘤がはっきりと確認でき、これがもし癌ならば…と嫌な予感がしたそうである。

蓼科へ戻った小津は、『大根と人参』の打ち合わせを進めるさなか、『青春放課後』のテレビ放送をそこで観ることになった。
しかし、頚部の異常が日に日に増したため、3月27日には下山し、4月10日に国立がんセンターへ入院した。
それ以降、小津の体調は二度と回復することはなく、その年の12月12日に帰らぬ人となった。

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動画について

①ブルー・インパルス ②オーバー・ザ・ギャラクシー ③オンリー・ワン・アース ④輝く銀嶺 ⑤東京物語(吹奏楽アレンジ) ⑥彼岸花(吹奏楽アレンジ) ⑦秋刀魚の味(吹奏楽アレンジ)

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