もののあはれを知る

「物のあはれを知る 松坂経営文化セミナー」というイベントが2015年9月30日、東京日本橋の日本橋公会堂で開催されました。
サブタイトルは、~本居宣長と小津安二郎をむすぶ~とありました。

aware01セミナー講師は、女優の中井貴惠さん、全国小津安二郎ネットワーク会長の藤田明さん、本居宣長記念館館長の吉田悦之さん、株式会社小津商店会長の中田範三さんの4名です。
当セミナーで、本居宣長と小津安二郎の意外な接点を知りました。

詳しくは、当セミナーのチラシに判りやすく書いてありましたので、以下に転載引用します。

「物のあはれを知る」は、本居宣長が『源氏物語』を味読することで見つけた日本人の美意識です。これは「女性の感性の尊重」と言い換えることが出来ます。そんな宣長の学問に共感し育んだのが松阪の商人たちでした。
宣長の発見したこの美意識は、近代になって小津安二郎監督の映画で花開きます。安二郎はこんなことを言っています。「私の映画は、物のあはれということだ。」宣長もまた安二郎も、実は松阪の豪商「小津党」の末裔なのです。名門の商家の子として生まれながら、学芸の世界に入っていった二人は、手法こそ違えど共通するのは、「家」そして「家族」の来し方行く末を見つめる静かな想い、諦念なのです。

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また、セミナーで配布された冊子「宣長の目」の中にも、秀逸な説明がありましたのでご紹介します。

サントリー美術館の石田佳也さんがユニークな説を提示した。「もののあはれを知る」を今の言葉に訳すると、「やばい」となるのだそうだ。「この味、やばいよね」などと感動、驚きのことばである。
(中略)
世の中のあらゆることに触れ、その本質を理解した時にわき起こる驚きや喜び、悲しみという感慨、それが物の哀れである。
⇒ 第4章(P10)

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中井貴惠さんは、小津映画には死別や嫁ぐ娘との別れなど、家族の崩壊が描かれていると論評する人もいますが、そうではなく家族は常に変化していくものであり、形を変えて再生していくものである、ということを小津監督は繰り返し描こうとしていたのではないか、と仰っていました。
また、藤田明さんも中井さんと同様の考えを示しましたが、次のような解釈もされました。
家族は崩壊していくのではなく、新たに迎え入れるもの(子供)、送り出すもの(老人)が現れ循環していくもの、季節の移り変わりと同様のものではないか、と話されました。
そういうことを、生涯家族を持たなかった小津監督は訴えたかったのではないかと仰いました。

藤田さんのお話しは、小津監督が「麦秋」について語った次の言葉から裏付けることができます。

これはストーリーそのものより、もっと深い《輪廻》というか《無常》というか、そういうものを描きたいと思った。
「自作を語る」より引用

吉田悦之さんの説明の中で、本居宣長と小津安二郎には血縁関係はないが、松阪という土地のDNAが色濃く影響している、というお話しには説得力がありました。
つまり血縁関係以外に、生まれ育った土地柄や時代背景などにもDNAが存在し、人の生き方に強烈な影響を及ぼすという説です。

それをDNAと呼ぶことに異論もあるかも知れませんが、私は血縁関係、土地柄、時代背景の3つは人生(心、魂)に大きく影響を与えるという考えに賛同します。
また、小津監督のような偉大な人物に影響を受けることを、しばしば○○のDNAを受け継ぐなどとも言いますが、こういう表現に対しても違和感はありません。

小津監督に家族はおりませんでしたが、小津のDNAを受け継いだ人は日本にも海外にも沢山いるのではないでしょうか。
「東京物語」のラスト近くに、次の有名なセリフが登場します。

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周吉「妙なもんじゃ……。自分が育てた子より、いわば他人のあんたのほうが、よっぽどわしらにようしてくれた。いやァ、ありがと。」
紀子(泣き崩れる…)

小津監督は昔から俳優やスタッフの家族を大切にし、親子ともども親しい間柄を築いてきました。
佐田啓二と中井貴惠・貴一親子をはじめ、岡田時彦と岡田茉莉子、佐野周二と関口宏、里見弴と山内静夫…等々、我が斎藤家も兄の名付け親は小津監督でした。
小津監督は、ずっと家族の中に流れる「もののあはれ」だけを見続けてきたのかも知れません。

今夜も小津監督がこよなく愛した信州の名酒ダイヤ菊を呑みながら、もしかすると私も小津監督のDNAを受け継いだのかも知れないなァ……なんて大それたことを妄想してしまいました。

動画について

①ブルー・インパルス ②オーバー・ザ・ギャラクシー ③オンリー・ワン・アース ④輝く銀嶺 ⑤東京物語(吹奏楽アレンジ) ⑥彼岸花(吹奏楽アレンジ) ⑦秋刀魚の味(吹奏楽アレンジ)

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