過去の記事一覧
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小津安二郎の最期を看取ったのは、俳優佐田啓二でした。小津監督と佐田啓二は、実の親子のように親密な間柄だったのです。佐田夫人の益子さんは、松竹大船撮影所近くにあった月ヶ瀬食堂の看板娘で、小津監督は益子さんが大のお気に入りで…
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私が初めて小津作品の音楽を担当したのが「東京物語」で、しかもこれが初めての映画の仕事でした。私にとっては全く幸運としか言い様がなく、逆に、小津監督としては何と大変な冒険をしたものかと今更ながら驚いています。
当時、…
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1955年(昭和30年)の春、斎藤高順は赤坂の霊南坂教会にて結婚式を挙げました。信時潔と小津安二郎は、斎藤を介し媒酌人と主賓として初対面を果たしました。
小津は、昭和17年に「父ありき」という名作を公開しました。ア…
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信時潔(1887年-1965年)は、同世代の山田耕筰と共に、20世紀の日本音楽界を代表する偉大な作曲家でした。戦時中、準国歌と言われた軍歌「海行かば」の作曲者としても有名な人物です。
※信時潔の功績については、信時裕子…
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珍しいものが出てきました。一見、出演者のスナップ写真かな?と思い期待しましたが、よく見ると松竹のロゴマークが入っています。映画館で販売されていたものなのでしょうか?よく分かりません。恐らく広告用、宣材用の写真なんだと思い…
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父の楽譜を整理していたら、「斎藤高順 映画・放送・作品抄」なる手書きの記録が出てきました。いつ頃書いたものなのかは分かりませんが、自身が手掛けた代表的な作品を書き連ねたもののようです。作品がかなり抜け落ちており、印象深い…
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『むかしの仲間』 手記:1990年 斎藤高順
ちょうど8年程前に脳腫瘍の摘出を行い、3年前には副腎にできた腫瘍を肋骨2本と共に副腎ごと手術をするという、ここ数年間に二度も大病を患いました。ところが何と幸運なことでし…
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『むかしの仲間』 第16号 1994年秋 斎藤高順
金曜会が創設されてから30年近くにもなるのに、今年の3月に初めて会報が創刊されたのです。私は、創立会員で学研常務の原正次氏の推薦で会員になりました。先年他界された…
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『むかしの仲間』 第15号 1994年春 斎藤高順
昨年(平成5年)の12月12日が、小津安二郎監督の生誕90年で、しかも没後30年とのことで、いろいろなイベントが計画された。昭和28年製作の松竹映画『東京物語』か…
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『むかしの仲間』 第14号 1993年秋 斎藤高順
アメリカとヨーロッパ及び香港に、それぞれ数日づつ旅行した時の想い出話などを記して見たいと思う。今から26年程前になるが、昭和43年の7月中旬、アメリカ吹奏楽の視察…
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『むかしの仲間』 第12号 1992年秋 斎藤高順
私が音楽の勉強を始めようと考えた頃は、日支事変の最中で旧制中学2年の時でした。始めは斎藤太計雄先生にすすめられて萩窪のお宅へ伺って理論のレッスンを受け、中学3年の…
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『むかしの仲間』 第11号 1992年春 斎藤高順
子供5人の中、上4人は男で、しかも上の3人は既に結婚して居り、長男には息子2人、次男・三男にはそれぞれ娘が1人ずつ居り、また年内に更に1人ずつ生まれる予定で、6月…
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『むかしの仲間』 第10号 1991年秋 斎藤高順
音楽学校(今の芸大)を卒業してからは、自主的に作曲して発表する以外は放送局や映画関係からの頼まれ仕事で作曲料を貰い、それが唯一の収入源で、とにかくフリーの作曲家と…
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以下に掲載する文章は、父の遺品の中から見つけたコピーを引用したものです。実は、そのコピーの出所がどこなのかが分かりません。何かの雑誌のコピーのようですが、その雑誌の名称が分からないのです。その上、この記事の執筆者がどなた…
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ブラスロックと聞いてピンとくる人は、もはや中高年世代に属する年令を迎えた方ではないでしょうか。ブラスロックとは、1970年前後に流行ったホーンセクションを加えた大きな編成のロックバンドが演奏する音楽に対する呼称でした。
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デジタルアーカイブとは、主に紙などのアナログ媒体でしか保存されていない情報を、スキャナなどを使ってデジタル化し、保管・検索・閲覧が可能な状態にすることです。古文書や保管書類、書籍や雑誌などは、かなりデジタルアーカイブ化が…
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「鯛夢出鳴門円也」
一体何のことでしょうか?この色紙は、小津監督からいただいた貴重な品ですが、不覚にもここに書かれている文字の意味を知らないままでした。もちろん、父高順は小津監督ご自身から意味を聞かされており、…
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高杉早苗 近衛敏明 笠智衆
1936年3月19日公開。
脚本のみ現存、ネガ、プリントなし。
大学よいとこは、小津安二郎第34作目の監督作品である。
1936年(昭和11年)に公開され、小津自身は33歳であ…
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飯田蝶子 田中絹代
1935年1月28日公開。
脚本のみ現存、ネガ、プリントなし。
箱入娘は、小津安二郎第32作目の監督作品である。
1935年(昭和10年)に公開され、小津自身は32歳であった。
晩年…
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岡譲二 岡田嘉子
1932年11月24日公開。
脚本のみ現存、ネガ、プリントなし。
また逢ふ日までは、小津安二郎第26作目の監督作品である。
1932年(昭和7年)に公開され、小津自身は29歳であった。
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動画について
①「東京物語」より主題曲~夜想曲 ②「早春」より主題曲 ③「東京暮色」よりサセレシア ④「彼岸花」より主題曲 ⑤「浮草」より主題曲~ポルカ ⑥「秋日和」より主題曲~ポルカ ⑦「秋刀魚の味」より主題曲~ポルカ~終曲